サムの手料理を食べた女が過去に何人いたかとか、この家のベッドで寝たやつが他にいたかどうかとか、別れた女に貰ったものは捨てるタイプなのかとか、そういうことを一度でも本人に聞いてみたためしはない。過去にはこだわらない、と言えば聞こえがいいが、実のところジェームズ・ブキャナン・バーンズはひどく臆病な男なのだった。
「……これは」
今日に限ってたまたま開けたベッドルームのサイドボード、その一番下の引き出し。爪切りがどうしても見つからなくて、何を思ったのか一度も使ったことのない引き出しを開けてみたのがいけなかった。
そこには何冊かのフォトアルバムがぞんざいに詰め込まれていて、その影に、シンプルな小振りのリングがそっとしまわれているのをジェームズは見た。見てしまった。
ペアリングの片割れだ、とすぐに察しがついた。そういった類いの――つまり、ジェームズ以外の人間の影を感じさせるようなものをこの部屋で見たのは、これがはじめてだ。
しかし、ジェームズには根拠のない自信があった。多少のブランクがあるとはいえ、恋愛についてはそれなりに経験してきたほうだ。その程度のことであれこれ騒ぎ立てるほど狭量ではないつもりだったし、何より、サムの過去を知るいい機会になる。むしろ、かえって楽しみなくらいだ。とか、そんな具合に。それは、あまりに楽観的な考えだった。
――いや、違う。ほんとうは、考えることすら嫌だった。だって勝てるわけがない。サムの彼女になることができるくらいの女だから、きっととびきりの美人で、やわらくて、優しくて、賢くて、人の殺しかたなんてもちろん知らないに決まっている。ナイフが肉を裂く感触や、親を殺された子供の悲鳴、その細い首を折ったときの音。ジェームズはどれも知っていた。知りすぎていた。
ベッドに腰かけたまま、引き出しにかけた指を動かせないでいる。このまま何か行動を起こしてしまったら、心のどこかが二度と元通りにならないと思った。サムのことをこれからもずっと好きでいたいという思いとか、なるべく考えないようにしてきたけれど、それでもふと思い浮かべてしまう幸福な未来とか。――許されるのならそれを叶えたいと思う気持ちとか、そういうものが。
「……ジェームズ?」
それが自分の名前だと認識するまでにいくらかの時間を要し、ジェームズはやっとの思いで振り返った。サムだった。――当たり前だ。ここは彼の家なのだから。
「酷い顔だ」
「……そうか?」
指はまだ動かない。顔だけがぎこちなく笑みを浮かべた。見かねたサムが近寄ってきて、ジェームズはただ呆然とそれを眺めている。
「大丈夫か?」
サムの指がジェームズの額を撫で、長い髪を優しくすいた。サムは優しい。ジェームズにはあまりその優しさを見せてくれないが、それでも伝わるものはある。サムは優しくて、照れ屋で、意外と繊細なところもあって、人の痛みがわかる男だ。そのくせ、自分と他人をきちんと分けて考えることのできる男だった。ジェームズのなかの暗い部分に引きずられたり、ことさら同調して憐れんだりもしない。ほんのすこしだけ離れたところにいて、でも目は離さずにいてくれる。それが心地よかった。あまりに心地よくて、ジェームズはサムの隣から離れられなくなってしまっていた。
「サム」
すがるように名前を呼んだ。それしかできなかった。
サムは優しい顔でジェームズを見つめ、それから、凍ったように動かないジェームズの手元を見た。
「そこ、開けたのか」
「……ああ」
「それでか。――馬鹿だな」
サムが呆れたように言い、ジェームズのまったく使い物にならない頭を抱きよせた。しっかりとした肩がジェームズの頬を受け止め、すこし高めの体温が首から香った。濃い色をした肌はどこも男らしくざらついていて、汗に濡れるとまるでブロンズの像みたいにとびきりうつくしく艶めくのだ。ジェームズはそれを知っていた。たぶん、誰より。
「誰のか知りたい?」
「……知りたくない」
サムの問いに、ジェームズはひたすら首を横にふった。目の前の首筋に顔を押し付け、肺いっぱいに彼の匂いを吸う。女のように甘い匂いはしないけれど、ジェームズをどこまでも安心させてくれる匂いだ。
「なあ、ジェームズ」
サムの声がジェームズを呼ぶ。その名前でジェームズを呼ぶのは、この世でもうサムひとりきだった。
ジェームズが返事をしなかったので、サムはしばらくそのままジェームズの頭を抱えていた。それから罰が悪そうに口許をまごつかせ、ジェームズの耳に触れるだけのキスを落とす。
「……悪かったよ。そんなに落ち込むとは思わなかったんだ」
「……は?」
思いがけない言葉だった。固まるジェームズを、サムの手が気恥ずかしそうに撫でる。
「あー、怒るなよ? ……嫉妬、とか、して欲しいなー、と思ってたんだけど」
嫉妬。
その言葉の意味がようやく理解できたころにはもう、ジェームズはサムをベッドに押し倒していた。
「おまっ……、ふざけんなよ!」
「だから、悪かったって! ……おいおい、泣くなよ」
サムの胸に顔を埋め、ジェームズは唸った。泣いてない、と強がりながら。
「……で、聞かないの?」
「聞かない!」
サムがおかしそうに笑う。その声を聞きながら、ジェームズはひたすらサムの湿ったTシャツに顔を押し付け続けた。
Green-eyed monster
たまにはサムにも主導権を
