ただいまあ、と間の抜けた声が玄関から聞こえ、どたんばたんがちゃん、と扉を閉める音がリビングまで響く。
同居しているわけではないのだから「ただいま」はおかしい。何度そう言っても、真司は頑なに「ただいま」と「お帰り」を欠かさなかった。
なんとなく座りの悪い気持ちで真司の「ただいま」について考えていると、もう一度どたんばたん、それからどさりと何かを落とすような音がなって、ようやくダイニングと玄関を隔てる扉が開く。
「……おい、一体どれだけ飲んできたんだ」
「違うだろぉ、蓮。まずは、おかえり、だろぉ」
今夜も例に漏れず真司はそう言い、蓮も例に漏れずそれを無視してダイニングキッチンへ向う。
「転ぶなよ」
すれ違いざまに言い、絵に描いたような千鳥足でリビングへ向かう背中を見送った。この様子では、明日の朝が見ものである。きっと半死半生の恐ろしく不細工な顔で、痛む頭を抱えながら起きてくるに違いない。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ……」
「そうは見えないがな」
大丈夫と言うそばからソファへ崩れ落ちる背中を横目に冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターのボトルを取り出す。その足ですぐにリビングへ戻り、肘置きからはみ出した真司の右足を蹴りながら、仰向けにさらけ出された腹へボトルを投げた。
「ほら。これでも飲め」
衝撃に「ぐえっ」と短く呻いた真司は、けれどそれ以上の不満は漏らさずに、わずかに赤らんだ顔をふにゃふにゃに緩め「さんきゅ」と舌足らずな声で言った。
「寝転がったまま飲む気か?」
「起きる、起きますってば」
蹴んないで、と相変わらずふにゃふにゃ言う真司の腕を強引に引っ張り、無理矢理その手にボトルを握らせる。結局キャップまで開けてやってから、ようやく蓮も真司の隣へ腰を落ち着けた。
「――で、一体どれだけ飲んできたんだ」
「そんなに飲んでないって。ええっと、うん、……多分」
その言葉に、思わず大きなため息がでる。
真司は特別酒に弱いわけではないが、かと言って、決して強いというわけでもない。飲めば飲んだだけ正体を失くすし、そのくせ、勧められれば断れないと言って自制もしない。ペースを守って一人じっくり飲むのが好きな蓮からすれば、まったくもって理解に苦しむ飲み方だ。
「大体お前、今日は取材だったんだろう」
いいのか、と呆れ混じりに蓮が問うても、真司は「だいじょーぶだってば」と笑うばかりで話にならない。
「ちゃんと終わってから飲んだもんね。それに、今日は珍しくへんしゅーちょーも一緒だったし」
だからだいじょーぶなの、と続けた真司に、蓮は、かえって彼の務める会社のほうが心配になる始末だった。そんな蓮をよそに、真司は興奮した様子で身を乗り出し、アルコールで上気した目を輝かせながら言う。
「外国のさ、見たことないお酒とかお菓子がいっぱいあって、そんでみんなすげーカッコしてんの。吸血鬼とか、かぼちゃのオバケとか」
その言葉に、蓮も、出社前に真司と交わした会話を思い返していた。
「ハロウィンパーティー、だったか」
「そうそう。スクランブル交差点のとことか、けっこう賑わってたぜ」
「パーティーだろう? なんで交差点なんかに……」
「んん? その辺はよくわかんないんだけど、でも、楽しかったなあ」
記者がそんなことでいいのか、と思いながら、この様子だと確かに楽しかったのだろうな、とぼんやり思う。騒がしい場所や人間が何より嫌いな蓮とは違い、真司はそのどちらもこのうえなく好きだ。パーティーなのかパレードなのか、そのどちらにせよ、このお祭り好きがおとなしく取材に徹していられるとは思えない。
「……俺にはさっぱり理解できんな」
「まあまあ、そう言うなって。ぜったい流行るぜ、ハロウィン」
「流行ったところで、俺には関係ない。第一あれは外国の祝日だろう」
「へえ、そうなんだ」
「……お前な」
思わず唖然とする蓮をよそに、真司は相変わらずの上機嫌だ。
思い出し笑いなのか、意味もなくにこにことしたまま左右にゆらゆらと揺れていた真司だったが、ふと思い出したように持たされていたミネラルウォーターを呷ったあと、いきなり「あっ」と腰を浮かせて何かを探し始めた。
「なあ、蓮。俺のリュック知らない?」
「知るか。そこにないなら廊下だろう」
「えーっ、なんか冷たくない? 最近」
しばらくはぶちぶちと蓮へ恨みつらみをぶつけていた真司だったが、結局、自らの手でリュックを探すべく勢い勇んで立ちあがった。これだって、酔っ払いには一仕事である。蓮はとっくに反論も説教も諦めていたので、口を開けたまま置き去りにされたボトルのキャップを閉めてやるなどしながら真司の帰りを待った。
そして、ゆうに五分は経つ。
転んだり、倒れたりしたような物音はない。トイレの戸が開閉する音もしない。まさか外にまで探しに出かけたというわけでもなさそうである。
何事もないだろう、と分かってはいても落ち着かず、ええい、と苛立ち紛れに頭を振る。この酔っ払いめ、とちいさな声で悪態をつき、覚えていろよ、と吐き捨てながら立ち上がった。
その時だった。
「――じゃーん!」
蓮の動きがぴたりと止まる。
「……あれ? 反応なし?」
おかしいなあ、と真司が首を捻る。その頭には、灰色の獣耳らしきものが一対くっついていた。手にも揃いの手袋がはめられていて、ご丁寧に腰からも長くふさふさとした尻尾らしきものが伸びている。
おそらくは、オオカミだろう。
「お前、何をしているかと思えば……」
「へっへっへ、いいだろ。貰ったんだ」
「そういうことを聞いてるんじゃない」
「安心しろよ、ちゃんと蓮のぶんもあるから」
「あのな……」
思わず額を抑えた蓮とは対照的に、真司はじつに楽しそうだった。足元のリュックをひっくり返し、なにやら、黒くて大きな布をばさばさと手際悪く広げている。
「これ、絶対お前に似合うと思ったんだ」
ほら、と蓮の前に突き出されたそれはおそらくマントで、ということはつまり、吸血鬼のコスチュームだろう。
「着ないぞ」
「まあまあ、そう言わずに」
「着ないからな」
「ほら、後ろむいて」
言うや否やで肩を掴まれ、結局、蓮の抵抗は虚しく封じられた。マントを着せられ、ちいさなツノがついたカチューシャまではめられると、吸血鬼にツノなどないだろう、と漠然と思いながらも、それなりに見られる格好にはなった。
「ほら、やっぱ似合う!」
いいよなあ蓮は、カッコいいよなあ、などと煽てられながら、うんざりとした気分で体へまとわりつく薄い布を摘まむ。いかにも安物なので、きちんとした貸衣装などではなく、一晩限りのパーティーグッズなどの類だろう。
「こんなものが似合ったところで、嬉しくはないな」
「またまたぁ。そんなこと言って、案外まんざらでもないんじゃないの?」
「言ってろ」
そう言って不快感たっぷりに鼻を鳴らした蓮を、灰色の手がつんつんとつつく。こちらはこちらで、荒っぽい作りのジョークグッズだ。尻尾など、尻尾と言うよりは腰巻か何かのように見える。
「オオカミ男にしては、間抜けな格好だな」
蓮が小馬鹿にした様子でそう続けると、真司は「そうかあ?」と首を捻りながら肩を竦め、わざとらしくしなを作って笑った。
「さっきは結構評判よかったんだけどな。かわいーって」
その言葉に、蓮の眉間がぐっと険しさを増す。
可愛いか可愛くないかで言えば、確かに、可愛いとは思う。じつに悔しいが、その点に異論はない。ただその「かわいー」は恐らく、子供や犬猫の類いに使われるタイプの「かわいー」だ。
「そう言われて、間抜けに鼻の下を伸ばしてたのか」
蓮は続けて「呆れたな」と吐き捨て、真司の頭から生えた耳をぴんと指で弾く。やめろよぉ、と慌てて頭を庇った真司の間抜けな顔に、すこしだけ溜飲が下がった。
「オオカミというより、ただの犬だな」
それも、芸も覚えず、きゃんきゃんと無駄によく吠え、飼い主以外にも平気で尻尾を振る馬鹿犬だ。可愛い可愛い馬鹿犬。
「そういうお前は、吸血鬼じゃなくて悪魔だっ!」
ああ言えばこう言う、売り言葉に買い言葉とはこのことだが、言いえて妙というやつでもあった。やはり、ツノがあるのは吸血鬼ではなく、悪魔だ。
「悪魔で結構。――それで、ハロウィンといえば、あれはどうした」
「……あれ?」
急に雰囲気を変えて口角を吊り上げた蓮を、真司が怪訝そうな顔で見返す。その仕草がまるで主人の顔色をうかがう犬のようで、蓮はこみあげる笑いを堪えるのに相当な苦労を必要とした。
「トリック・オア・トリート。知らないとは言わせんぞ」
「……お菓子、いる? アメならあるけど」
「いらんな」
蓮のその言葉に、真司が脱兎のごとく駆け出す。けれどやはり蓮のほうが何枚も上手だった。腰から生えた尻尾をむんずと掴まれた真司は、ぎゃっ、と可愛げのない悲鳴をあげてつんのめると、バランスを崩したまま、蓮の懐へしっかりと抱きとめられてしまった。
「あ、あ、悪魔……」
「言っただろ。悪魔で結構」
そう返し、目の前のうなじに鼻先を埋める。するとたちまちアルコールの匂いがぷんと香り、蓮は思わず吹き出すように笑ってしまった。こんなに酒臭い犬がいてはたまらない。
「こっちまで酔いそうだ」
苦笑まじりのつぶやきに「俺、食べられんの?」と見当はずれの答えが返ってきた。やはりこいつはオオカミじゃないな、と内心でうんうんと頷き、ばれないようにそっと笑みをこぼす。
――ハロウィンに興味はないが、これは案外悪くないかもしれない。
などと、珍しく素直にそう思いながら。
2019.11.1
同居しているわけではないのだから「ただいま」はおかしい。何度そう言っても、真司は頑なに「ただいま」と「お帰り」を欠かさなかった。
なんとなく座りの悪い気持ちで真司の「ただいま」について考えていると、もう一度どたんばたん、それからどさりと何かを落とすような音がなって、ようやくダイニングと玄関を隔てる扉が開く。
「……おい、一体どれだけ飲んできたんだ」
「違うだろぉ、蓮。まずは、おかえり、だろぉ」
今夜も例に漏れず真司はそう言い、蓮も例に漏れずそれを無視してダイニングキッチンへ向う。
「転ぶなよ」
すれ違いざまに言い、絵に描いたような千鳥足でリビングへ向かう背中を見送った。この様子では、明日の朝が見ものである。きっと半死半生の恐ろしく不細工な顔で、痛む頭を抱えながら起きてくるに違いない。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ……」
「そうは見えないがな」
大丈夫と言うそばからソファへ崩れ落ちる背中を横目に冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターのボトルを取り出す。その足ですぐにリビングへ戻り、肘置きからはみ出した真司の右足を蹴りながら、仰向けにさらけ出された腹へボトルを投げた。
「ほら。これでも飲め」
衝撃に「ぐえっ」と短く呻いた真司は、けれどそれ以上の不満は漏らさずに、わずかに赤らんだ顔をふにゃふにゃに緩め「さんきゅ」と舌足らずな声で言った。
「寝転がったまま飲む気か?」
「起きる、起きますってば」
蹴んないで、と相変わらずふにゃふにゃ言う真司の腕を強引に引っ張り、無理矢理その手にボトルを握らせる。結局キャップまで開けてやってから、ようやく蓮も真司の隣へ腰を落ち着けた。
「――で、一体どれだけ飲んできたんだ」
「そんなに飲んでないって。ええっと、うん、……多分」
その言葉に、思わず大きなため息がでる。
真司は特別酒に弱いわけではないが、かと言って、決して強いというわけでもない。飲めば飲んだだけ正体を失くすし、そのくせ、勧められれば断れないと言って自制もしない。ペースを守って一人じっくり飲むのが好きな蓮からすれば、まったくもって理解に苦しむ飲み方だ。
「大体お前、今日は取材だったんだろう」
いいのか、と呆れ混じりに蓮が問うても、真司は「だいじょーぶだってば」と笑うばかりで話にならない。
「ちゃんと終わってから飲んだもんね。それに、今日は珍しくへんしゅーちょーも一緒だったし」
だからだいじょーぶなの、と続けた真司に、蓮は、かえって彼の務める会社のほうが心配になる始末だった。そんな蓮をよそに、真司は興奮した様子で身を乗り出し、アルコールで上気した目を輝かせながら言う。
「外国のさ、見たことないお酒とかお菓子がいっぱいあって、そんでみんなすげーカッコしてんの。吸血鬼とか、かぼちゃのオバケとか」
その言葉に、蓮も、出社前に真司と交わした会話を思い返していた。
「ハロウィンパーティー、だったか」
「そうそう。スクランブル交差点のとことか、けっこう賑わってたぜ」
「パーティーだろう? なんで交差点なんかに……」
「んん? その辺はよくわかんないんだけど、でも、楽しかったなあ」
記者がそんなことでいいのか、と思いながら、この様子だと確かに楽しかったのだろうな、とぼんやり思う。騒がしい場所や人間が何より嫌いな蓮とは違い、真司はそのどちらもこのうえなく好きだ。パーティーなのかパレードなのか、そのどちらにせよ、このお祭り好きがおとなしく取材に徹していられるとは思えない。
「……俺にはさっぱり理解できんな」
「まあまあ、そう言うなって。ぜったい流行るぜ、ハロウィン」
「流行ったところで、俺には関係ない。第一あれは外国の祝日だろう」
「へえ、そうなんだ」
「……お前な」
思わず唖然とする蓮をよそに、真司は相変わらずの上機嫌だ。
思い出し笑いなのか、意味もなくにこにことしたまま左右にゆらゆらと揺れていた真司だったが、ふと思い出したように持たされていたミネラルウォーターを呷ったあと、いきなり「あっ」と腰を浮かせて何かを探し始めた。
「なあ、蓮。俺のリュック知らない?」
「知るか。そこにないなら廊下だろう」
「えーっ、なんか冷たくない? 最近」
しばらくはぶちぶちと蓮へ恨みつらみをぶつけていた真司だったが、結局、自らの手でリュックを探すべく勢い勇んで立ちあがった。これだって、酔っ払いには一仕事である。蓮はとっくに反論も説教も諦めていたので、口を開けたまま置き去りにされたボトルのキャップを閉めてやるなどしながら真司の帰りを待った。
そして、ゆうに五分は経つ。
転んだり、倒れたりしたような物音はない。トイレの戸が開閉する音もしない。まさか外にまで探しに出かけたというわけでもなさそうである。
何事もないだろう、と分かってはいても落ち着かず、ええい、と苛立ち紛れに頭を振る。この酔っ払いめ、とちいさな声で悪態をつき、覚えていろよ、と吐き捨てながら立ち上がった。
その時だった。
「――じゃーん!」
蓮の動きがぴたりと止まる。
「……あれ? 反応なし?」
おかしいなあ、と真司が首を捻る。その頭には、灰色の獣耳らしきものが一対くっついていた。手にも揃いの手袋がはめられていて、ご丁寧に腰からも長くふさふさとした尻尾らしきものが伸びている。
おそらくは、オオカミだろう。
「お前、何をしているかと思えば……」
「へっへっへ、いいだろ。貰ったんだ」
「そういうことを聞いてるんじゃない」
「安心しろよ、ちゃんと蓮のぶんもあるから」
「あのな……」
思わず額を抑えた蓮とは対照的に、真司はじつに楽しそうだった。足元のリュックをひっくり返し、なにやら、黒くて大きな布をばさばさと手際悪く広げている。
「これ、絶対お前に似合うと思ったんだ」
ほら、と蓮の前に突き出されたそれはおそらくマントで、ということはつまり、吸血鬼のコスチュームだろう。
「着ないぞ」
「まあまあ、そう言わずに」
「着ないからな」
「ほら、後ろむいて」
言うや否やで肩を掴まれ、結局、蓮の抵抗は虚しく封じられた。マントを着せられ、ちいさなツノがついたカチューシャまではめられると、吸血鬼にツノなどないだろう、と漠然と思いながらも、それなりに見られる格好にはなった。
「ほら、やっぱ似合う!」
いいよなあ蓮は、カッコいいよなあ、などと煽てられながら、うんざりとした気分で体へまとわりつく薄い布を摘まむ。いかにも安物なので、きちんとした貸衣装などではなく、一晩限りのパーティーグッズなどの類だろう。
「こんなものが似合ったところで、嬉しくはないな」
「またまたぁ。そんなこと言って、案外まんざらでもないんじゃないの?」
「言ってろ」
そう言って不快感たっぷりに鼻を鳴らした蓮を、灰色の手がつんつんとつつく。こちらはこちらで、荒っぽい作りのジョークグッズだ。尻尾など、尻尾と言うよりは腰巻か何かのように見える。
「オオカミ男にしては、間抜けな格好だな」
蓮が小馬鹿にした様子でそう続けると、真司は「そうかあ?」と首を捻りながら肩を竦め、わざとらしくしなを作って笑った。
「さっきは結構評判よかったんだけどな。かわいーって」
その言葉に、蓮の眉間がぐっと険しさを増す。
可愛いか可愛くないかで言えば、確かに、可愛いとは思う。じつに悔しいが、その点に異論はない。ただその「かわいー」は恐らく、子供や犬猫の類いに使われるタイプの「かわいー」だ。
「そう言われて、間抜けに鼻の下を伸ばしてたのか」
蓮は続けて「呆れたな」と吐き捨て、真司の頭から生えた耳をぴんと指で弾く。やめろよぉ、と慌てて頭を庇った真司の間抜けな顔に、すこしだけ溜飲が下がった。
「オオカミというより、ただの犬だな」
それも、芸も覚えず、きゃんきゃんと無駄によく吠え、飼い主以外にも平気で尻尾を振る馬鹿犬だ。可愛い可愛い馬鹿犬。
「そういうお前は、吸血鬼じゃなくて悪魔だっ!」
ああ言えばこう言う、売り言葉に買い言葉とはこのことだが、言いえて妙というやつでもあった。やはり、ツノがあるのは吸血鬼ではなく、悪魔だ。
「悪魔で結構。――それで、ハロウィンといえば、あれはどうした」
「……あれ?」
急に雰囲気を変えて口角を吊り上げた蓮を、真司が怪訝そうな顔で見返す。その仕草がまるで主人の顔色をうかがう犬のようで、蓮はこみあげる笑いを堪えるのに相当な苦労を必要とした。
「トリック・オア・トリート。知らないとは言わせんぞ」
「……お菓子、いる? アメならあるけど」
「いらんな」
蓮のその言葉に、真司が脱兎のごとく駆け出す。けれどやはり蓮のほうが何枚も上手だった。腰から生えた尻尾をむんずと掴まれた真司は、ぎゃっ、と可愛げのない悲鳴をあげてつんのめると、バランスを崩したまま、蓮の懐へしっかりと抱きとめられてしまった。
「あ、あ、悪魔……」
「言っただろ。悪魔で結構」
そう返し、目の前のうなじに鼻先を埋める。するとたちまちアルコールの匂いがぷんと香り、蓮は思わず吹き出すように笑ってしまった。こんなに酒臭い犬がいてはたまらない。
「こっちまで酔いそうだ」
苦笑まじりのつぶやきに「俺、食べられんの?」と見当はずれの答えが返ってきた。やはりこいつはオオカミじゃないな、と内心でうんうんと頷き、ばれないようにそっと笑みをこぼす。
――ハロウィンに興味はないが、これは案外悪くないかもしれない。
などと、珍しく素直にそう思いながら。
2019.11.1
