街、といっても霧の都ロンドンなどとは土台比べるべくもない小さな小さな街だが、それでもゴドリックの谷から片道でおよそ三時間もかかる。これはマグルのやり方に習えばの話で、アルバスはそのやり方を一度だけ試してみたことがあった。二匹の馬が牽く木造の車はホグワーツの一年生が乗る箒よりも遅く、そのうえアルバスの知るどのポートキーよりもひどい揺れ方をした。二度とやるまいと決意するころには、両方の尻たぶに黒々とした痣が一つずつ出来ていたことを覚えている。
「馬鹿だな」
隣を歩くゲラートが短く笑い、アルバスの物言いたげな横顔を一瞥した。視線はすぐ道端の花屋へ移る。今度はアルバスがゲラートの横顔を見た。その横顔に少しでも退屈そうな色が浮かんでいたら、すぐにでもこの話題を切り上げるつもりで。今のところ、ゲラートの横顔にはまだうっすらとした笑みが浮かんでいる。
「馬鹿は承知さ。時間が欲しかったんだ」
「尻に痣を作るための時間か?」
「違う。……何もせず、ただ考え事をするだけの時間」
馬鹿げたことを言っている自覚はあった。それが子供じみた不満であることも、そして、誰が悪いわけでもないこともまた――妹のことについて、憎むべき相手はもうその報いを受けているので――寸分違わず理解している。けれど、事象を理解するということと、それを心から納得して受け入れるということとの間には決定的な隔たりがある。
こうした整理のつかない胸のうちを、ゲラートにだけはなるべく知られずにおきたかった。ほんとうに子供じみているし、彼との時間をそうした非論理的な会話に使いたくもない。けれど、知られずにおくのはきっと無理だろうということも分かっている。ゲラートと親しくなってまだひと月と経っていないが、その短い付き合いのアルバスでさえ、彼以上に他人の情動に敏く、そしてそれを操ることが巧みな人間はいないだろうと感じていた。こんな相手ははじめてだ。
「――なら、酒でも買って帰るか。馬車に山積み」
ゲラートが、揶揄の混じった視線をアルバスへと戻す。アルバスに酒の楽しみかたを教えたのはゲラートだった。ただ酔って眠るために飲む酒ではなく、気心の知れた友人と実のある議論を交わしながら飲む酒の旨さをアルバスはこの歳でようやく知った。
「それもいいけど、まずは古道具屋だ。なにか掘り出し物があるかも」「あると思うか?」
アルバスも、さてね、と肩を竦める。そして「でも、試してみなくちゃわからない。……何事も」と苦し紛れの誤魔化しを言った。ゲラートが声をあげて笑う。
「はは、まあ、そういうのも嫌いじゃないが」
「だろう?」
アルバスも一緒になって笑い、歩みを促すようにゲラートの肩を叩いた。「まずは、あの店だ」
「――なるほど、悪くないな」
顔を見合せ、含み笑いで頷きあう。「あの店」を「悪くない」と表現する魔法使いは、きっとこの世にゲラートとアルバスだけだ。それほどに古びていて、時代遅れで、すっかり世間から置き去りにされてしまったような店構えだった。まるで、ほんの少し前までのアルバスのように。
■
「掘り出し物」は見つけにくいから「掘り出し物」なのであって、つまり、二人の探索はいささかの難航を極めていた。アルバスはとっくに諦めて使いもしない家事魔法の教本を読んでいたし、ゲラートは年代物の蜂蜜酒が並んだ棚の前であくびをこぼしている。
「……結局酒か」
アルバスがそう声をかけると、ゲラートがしたり顔で振り返った。
「だから言っただろう」
「でも、『錬金術の手引き』の初版本は見つけた」
「サインつき?」
「サインと埃とカビと、それから染みもたくさん」
ゲラートは返事の代わりに肩を竦め、それから、隣の宝飾品が並んだ棚へ視線を移した。彼が一番熱心に調べていた棚だ。
「俺のほうは――」
勿体ぶって言葉を切り、挑発的な視線でアルバスを見る。こういうとき、アルバスはいつもどういう顔をすべきか分からないのだった。ゲラートの芝居じみた振る舞いは、彼の際立った容姿を一層魅力的に見せる。彼自身もそれをよく理解しているようだった。だから、困る。素直に魅了されてしまえばよいのか、それとも、馬鹿な真似はよせと嗜めればよいのか。あるいは、挑発に乗って下品なジョークの一つでも言えばよいのか。一体どれが友人として正しい振る舞いなのだろう。
結局アルバスは「勿体ぶってないで、はやく言えよ」とゲラートをせっつくことにした。多分これが最も無難で面白味のない答えだ。つまらない奴だと思われるのは嫌だけれど、気味が悪いとか不愉快な奴だと思われるよりはよほどいい。
案の定「堅物め」と悪態をついたゲラートのぞんざいな手招きに従い、彼の肩越しにその手元を覗きこんだ。
「……ペンダント?」
「ああ。たいした細工じゃないが、石は悪くない。こんな店に置いておくのが惜しいくらいにはな」
「へえ。売るのか?」
いいや、とゲラートが首を横に振る。それから出し抜けにアルバスの肩を抱きよせ、「よく見てみろ」と思わせ振りに笑った。彼の手元にある小さなペンダントを見るためには、頬が触れあうほどの距離まで顔を近付けなければならない。
「宝石にはあまり興味がないんだ」
内心の動揺を誤魔化すように目を伏せたアルバスを、ゲラートの愉快そうに細められた瞳が追いかける。
「べつに、講釈を垂れようってんじゃない」
「じゃあ何だって言うんだ、こんな……」
ゲラートが自ら言ったように、素人目にもたいした細工とは思えないペンダントだ。蔦を模した銀の台座に、くすんだ青色の石が乗っているだけ。確かに石自体は大ぶりで、目立った傷みもない。だが、それだけだ。
肩に置かれていたゲラートの手が、頑なになりはじめていたアルバスの背中を宥めるように撫でる。再び「よく見てみろって」と促され、アルバスは気の進まないままペンダントへと顔を寄せた。その耳元に、薄い唇が触れる。
「お前の瞳の色とそっくりだ。……俺の好きな色」
「――なにを」
馬鹿な、と、撥ねつけるべきだった。実際、そうしようとした。このときアルバスの唇が塞がれてさえいなければ、二人はきっと蜂蜜酒を土産にゴドリックの谷へ帰り、硬い床の上で何事もなく朝を迎えたはずだ。結論から言えば、そうはならなかった。
「冒険だ、アルバス。冒険だよ」
ちょうどこの店の裏手に、「冒険」にはうってつけの宿がある。アルバスはそのことを知っていた。だが、知らぬふりをすることもできた。
「……出よう」
ゲラートが笑う。アルバスは笑わなかった。恐ろしいほどの興奮と、何もかもが変わってしまう予感に、ただその痩せた肩を震わせていた。
END
ゲラアル
