Detestable Man

 甘ったるい女の匂いをむんむんとさせた男が、ノックもせず、なかば蹴破るようにしてホテルのドアをくぐった。それも、彼にあてがわれた部屋ではない。部屋の主はバスローブ姿で彼を出迎えたが、男があと数秒でも早く現れていたら、きっと生まれたままの姿で彼を出迎えたに違いなかった。

「デイブ……」

 うんざりしたような声、そのうえ言外に強烈な非難がこめられている。女物の派手なシャツをめちゃくちゃに着崩したデイブは、薄い腹を力任せにかきながら、なんのためらいもなく他人のベッドへもぐりこんだ。

「グッドイブニング、ミック。今日も相変わらずまぬけな面をしてやがるな」
「……いま何時だと思ってるんだ」

 苛立ちを抑え込むようにバスローブの紐をきつく縛り、ミックはつとめて冷静にことを運ぼうとした。

「出ていけ。俺の部屋だ」
「ひどいな」

 デイブがあわれっぽい声で言った。「俺を追い出すのか」

「あたりまえだ」

 ミックはガラス製のウォータージャグを傾けながら、なるべくベッドの上のデイブを見ないようつとめた。グラスのなかでぬるんでいた水が勢いよく盛り上がり、三分の一ほどがふちからこぼれる。それすら構わず、ミックはただ黙々とデイブの存在を無視し続けた。下手に出ればつけあがる。苛立てば面白がる。怒鳴りつければ大喜びだ。彼は――彼ら兄弟は、と言いかえてもいい――すこぶる性格が悪い。最近ようやくそれを学んだミックは、生真面目な学生のように学習の成果を披露し続けた。

「……なあミック。なあってば」

 あどけない少年のような、それでいて客引きのあばずれのようなきんきんとしたかすれ声がミックを呼ぶ。口元に寄せたグラスを、そのまま投げつけてやりたかった。いまはしない。ここは自分の部屋で、彼が寝そべっているのは今夜ひとりで使う予定のベッドだ。

「ミック。こっち来いよ」

 不明瞭な語尾。きっとまた親指を噛んでいる。しつけの悪い、馬鹿な子供みたいな癖だ。子供みたいな声に子供みたいな癖。しかし、彼の本質はもっと悪魔的だ。しつけが悪く、馬鹿で、恐れ知らずな下町の悪童たちなどよりよほどたちが悪い。

「こっち来いったら。寒いだろ」

 俺が、と悪びれもせず続けたデイブがベッドから這い出す。あやうく殴りつけるところだった。前に彼の頭をハイハットでかち割ってしまったことがあったが、いまだになぜあの時ほんとうに殺してやらなかったのかと後悔することがある。いまみたいなときは特に。

「……それ以上寄るな」
「やっとしゃべったな、まぬけ野郎」

 デイブが耳元でささやく。上唇が耳朶をかすめた。痩せた腕が腹の前にまわされ、首の後ろから不愉快なほどの甘い匂いが立ち上った。嫌気がさす。うんざりだった。デイブにも、自分にもだ。

「今夜はまだだろ?」

 こっち、とバスローブ越しに下半身をなぞり、デイブが笑う。馬鹿にしたようなせせら笑いだ。彼の指がバスローブの紐を引き、ミックはうんざりとしながらその誘いに乗った。本能は正直だ。ミックの下半身はとっくに熱を持ちだしている。デイブは悪魔的なほどに嫌な奴で、そのうえうんざりするほど魅力的だった。首だけで振り返り、うんざりするほど美しい顔を間近で睨む。出来のいい人形のような丸い瞳。細くとがった鼻。つんと突き出した上唇。長くやわらかなブルネット。ああ、うんざりだ。
 衝動にまかせて唇へ噛みつくと、むせるほど苦い煙草の残り香が鼻をついた。でこぼことした歯列を舌で荒っぽくなぞり、酒の匂いがする唾液をすする。強引に体の向きを変えると、デイブがぶらさがるように首へ縋り付いてきた。生まれつき、効果的な甘え方を知っている男だ。余るほどの魅力を神から与えられ、その魅力をどう使えば最も効果的かもすべて心得ている男。似ているようで似ていない彼の兄はきっと、彼のそういうところがとくべつ気に入らないのだろうと思う。
 無言のままデイブの尻たぶを掴み、そのままベッドへと投げるように押し倒した。ミックへ縋り付いていた腕がほどけ、しわの寄ったシーツの上に落ちる。ギタリストの筋張った腕をまとめてシーツへ縫い留め、もう一度乱暴に唇をふさいだ。やけにごつごつとしたベルトのバックを片手で外し、腿にはりつくほど細いパンツを力づくで引き下げる。

「まだ突っ込むなよ。おまえ、すぐイっちまうだろ」

 火照った唇を舌で潤したデイブが、あざけるように口を歪ませて言った。答えるかわりに、薄くあいた歯のあいだへ指を突っ込む。すぐに分厚い舌が絡みついて、ミックの指をどろどろに湿らせた。

「準備は?」
「してきた」
「……へえ」

 短いやり取りだったが、デイブの興奮は手に取るように分かった。一人で後ろの穴を洗うデイブの姿を想像すると笑えてくるが、あるいは、もうどこかで誰かを咥え込んだ後なのかもしれなかった。それならそれで構わない。その程度のことで、このうんざりするほど美しく、悪魔的なほど嫌な奴で、そのうえ恐ろしく鼻っ柱の強い男を犯す興奮が損なわれはしない。
 言葉通り柔らかくほころんだ窄まりへ指をねじ込み、広さを確かめるようにぐるりと中をかき回した。デイブの喉がぐいとのけぞり、意味をなさないうめき声をあげる。少年のような、娼婦のような。

「……相変わらずくそったれのビッチ野郎だな、おまえ」

 八つ当たりのようにデイブを罵り、凶器のように固くふくらんだペニスを入口へあてがう。指を引き抜くとデイブが非難顔で悲鳴をあげたが、休む暇も与えずに自身をねじ込んだ。はっ、と短く息を詰める気配がある。ミックはすこしも構わずに奥へ奥へとペニスをねじ込み続けた。はじめだけいきむように唇を引き結んでいたデイブだったが、奥へ進むごとに詰めた息をゆるゆると吐き出し、次第にうっとりとした嬌声をあげはじめる。

「あ……っ、あ、あ、いい、そのまま……」

 ミックは彼の言うことをほとんど無視した。自分の快感だけに集中して腰をつかい、突き上げるたびに反り返るデイブの喉を見る。一思いに絞め殺してやりたくなった。できるわけもない。それを分かっていて自分を誘惑するこの男が憎い。
 凶暴な衝動を押し殺すように腰を進めた。突き当りを力ずくでこじ開け、デイブが悲鳴のような嬌声を上げるのを聞く。ペニスの先を食いちぎるように締め付けられ、ミックも唸るように喘いだ。

「出すぞ」

 デイブが頷く。頭を振るたび長い前髪がシーツを叩くように散り、ミックはその光景にますます我を忘れた。気障に整えられた髪を振り乱して喘ぐ美しい男。その体内に自分の精を注ぎ込んだ瞬間の征服感がいかほどのものか、ミックは知っている。知っているからこそ、これ以上は耐えられそうになかった。奥歯を食い締め、最後の一押しとばかりに腰を押し付ける。ちょうどいいところに触れたのか、デイブの腰がびくりと震えた。 脱力したミックを一瞥したデイブが、唇の端を釣り上げて笑う。

「ほら見ろ、早漏め……」

 デイブはそのまま右手で自分のペニスを握った。ミックを咥えたまま、自分のためだけに快楽を追求しはじめる。デイブは白痴のようにだらしなく口を開き、だらだらとした喘ぎ声をひっきりなしにこぼした。ややあって、誘われているのだと気付く。ミックが気付いたことに気付いたらしいデイブの顔に、小馬鹿にしたような挑発の色が滲んだ。

「ヘイ、ダーリン。朝にはまだ早いぜ?」

 そうだろ、と傾げられた首に噛みつき、返事の代わりに大きな歯型をそこへ残した。

「お前のことは嫌いじゃない」

 長い前髪が影をつくったので、デイブがはたしてどんな顔をしてそんなことを言ったのか、それをこの目で見ることはかなわなかった。

「へえ、初耳だね」

 事後の気安い雰囲気のなか、ミックはその言葉を冗談だととらえた。もうこのまま寝るつもりでシーツを引き寄せ、縁に腰かけたままのデイブを爪先で小突く。デイブはただ無言で肩をすくめ、短い煙草を惜しむように吸った。

「用事は済んだろ。部屋に帰れって」
「つれねえな。いいだろ、一晩くらい」
「嫌だよ」

 彼のわがままを黙って聞いてやれるほど大人ではない。けれど、そのわがままの裏にある甘えに気づかずいられるほど子供でもなかった。言葉にし難い苛立ちを持て余したミックは、力ずくで叩き出すかわりに皮肉っぽく口を歪めて言った。

「なら、兄貴のところにでも行けばいいだろ」
「それだけは絶妙に嫌。……それにたぶん、今日はめちゃくちゃに機嫌が悪い日だぜ」
「いつもだろ」
「まあ、違いねえな」

 なかば吐き捨てるように笑ったデイブは、指を焦がすほど短くなった煙草を備え付けの灰皿に押し付け、ミックのとなりへするりと滑り込んだ。その細い脚を何度か蹴って、形ばかりの拒絶を示す。デイブはただ笑うだけで、ひとつの憎まれ口も叩かなかった。
 彼らの兄弟仲は独特で、どれほどの時間をともに過ごそうと、そこへ割って入るための許可証のようなものをもらうことはできそうにない。デイブは兄――レイのことをいつだって気にしているし、レイもそうだ。ドラムセットに座っている時が一番、彼らを冷静にみつめることができる。

「……あんたらが素直なのは、ステージの上で演ってるときだけだな」

 シーツの下でデイブが肩を竦めた。

「どうだかな。もし俺がある日突然ステージの上で死んじまったら、あいつ、涙を流して喜ぶんじゃねえか」
「状況的に、殺ったのは俺か。動機も前科もある」
「そう。お前に殺された俺を見て、泣きながら神に感謝するんだ」

 いかにも悪趣味なジョークだったが、ミックもデイブも声をあげて笑った。確かにレイはそういう男だ。体面を保つためだけに、その場限りの心優しい兄を演じられるほど器用な男ではない。誰より豊かで繊細な心を持っているくせに、ひどく露悪的でひねくれた男だ。
 不意にデイブが真面目くさった顔をつくった。ミックの唇に唇を重ね、小さな声で囁くように言う。

「そのあとで、お前を殺してあいつも死ぬ」
「だろうな」

 そう。彼らはそういう兄弟だ。常人には理解の及ばないバランスで成立している。ミックは巻き込まれただけの通りすがりだ。

「……あいつは俺が気にくわないくせに、ほかのだれかのモンになっちまうのだけは我慢ならないんだ」

 デイブがくたびれた声で言った。途方に暮れたような声で、そのまま新曲の詞にでも使えそうな洒落た言い回しで、当たり前のようにミックには理解の及ばない世界の話をする。やはり、あの兄の弟なのだ。

「それがわかってて、なんで俺と寝るんだ」

 ミックには、それだけがどうしても分からなかった。巻き込まれただけの通りすがりと寝て、兄との関係をこじらせ、こじれたことに喜び、そのくせ自分を蔑ろにするレイに憤るデイブの精神が、ミックにはどうしても理解できなかった。理解する必要はないとも思っている。だから彼と寝るし、寝たからといって今以上の深みに自ら飛び込んでいくつもりもない。でも、やはり気になるのだった。
 デイブが困ったように笑う。そこにミックを馬鹿にするようなニュアンスはなかった――珍しいことに。

「おまえは鈍いな。本当に」

 デイブの長い髪がふいに肩から滑り落ち、ミックの大きな歯型がぬっとこちらをのぞいた。まるで過去の自分に笑われているような気分だ。大きな口を開けて笑い、おまえはどうしようもない馬鹿だと、過去の自分が言っているような。 けれど、デイブはそれ以上は笑わなかった。口元だけが奇妙な形に歪んでいる。そして、途方に暮れたような声で言った。

「……俺もあいつが気にくわないからさ」

END