帰宅して、部屋に他人の気配があると幸せだと思う。灯りがついていて、室内が適温に保たれていて、食欲を誘う香りがすればもっといい。「おかえり」と声がかかれば最高だ。
「ただいま。――セブ?」
期待をこめて名前を呼ぶと、今日は一日オフだったらしい恋人の部屋着姿がリビングからのぞく。電話中のようだ。スマートフォンを耳に当てたまま、唇だけが「おかえり」の形をつくった。
「……五分後ね、オーケー」
「誰?」
「デリ頼んだんだ。食べるだろ?」
もちろんだと笑顔で答え、通話が切れた瞬間を見計らってキスをせがむ。呆れたように笑うセバスチャンの腰を抱きよせ、つんと尖った鼻先へ触れるだけのキスを落とした。
「クリス、ステイ。夕飯が先だ」
「分かってるよ、僕は躾が行き届いてるから」
「嘘つけ。ドッグトレーナーのところへ送り返すぞ」
「それは困るな」
言ったそばから諭すように爪先を踏まれ、今日ばかりは大人しくしたほうが得策だと悟る。腰に置いていた手をそっと背中に滑らせることで恋人のハグを友人同士のそれにすり替え、お伺いを立てるようにセバスチャンの顔をのぞきこんだ。猫のような鼻がふんと鳴り、唇のはしがにんまりと上がる。
「よろしい」
ならばとばかりにクリスもその仰々しい口振りにあわせ「ばう」と鳴いた。腹を抱えて笑うセバスチャンを支えながらリビングのソファーへ雪崩れこむ。
「こら!」
不可抗力で近付いた顔をぐいと押し返されたクリスは、抗議のかわりに目の前の手ひらをべろりと舐めた。ひい、と短い悲鳴を上げたセバスチャンが、両目を眇めてクリスを睨む。
「クゥリス、ステイは?」
「だってご主人、僕お腹が空いたよ。ご飯はまだ?」
「それはお店に聞いて」
「冷たいな」
「――あ、来たぞ」
セバスチャンは舐められた手を部屋着のスウェットで拭い、ちょうどよく鳴ったインターフォンに答えてばたばたと玄関へ向かった。口の固い白髪頭のコンシェルジュから見覚えのあるデリの袋を受け取り、得意気な顔で戻ってくる。
「グッドタイミング」
「さすがご主人」
それいつまでやる気? と冷たく睨まれても、クリスはめげなかった。「ばう」ともう一度鳴き、セバスチャンの手から袋を奪い取る。食欲をさそう香辛料の香りが鼻腔を満たした。中身は多分チャイナだ。
「食い意地の張った犬だなあ」
結局はセバスチャンのほうが先に折れ、夕食を抱きしめるクリスを見ながら呆れ顔で笑った。
行儀悪く袋を破きまだ湯気がのぼる箱を開けると、この世のなにより食欲を誘う香りが二人を包む。エビのチリソース炒めとめちゃくちゃに味の濃いチャーハン、オレンジチキンにデザートのプディング。思わず顔を見合わせてから、あとは黙々と胃の中へかきこんだ。
「――そうだ。見たよ、こないだの」
口のはしに付いていたチリソースをぺろりと舐めとりながら、セバスチャンが唐突に言う。やや固めのプディングを口に詰め込んだばかりだったクリスは、忙しなく咀嚼しながらその問いの真意について考えを巡らせた。
「見たって?」
「だから、こないだのイベント」
「――ああ」
二人きりで会っているときにこの手の――つまり、仕事の――話が出るのは珍しいことだ。特別避けているわけではないけれど、恋人であると同時に同業者、それも親友という浅からぬ間柄のキャラクターを演じている二人だから、不意にこぼした一言が雑談では済まないような議論を生むこともある。クリスはそうした議論を好むほうだが、セバスチャンはどちらかというと内に籠って役柄を深めていくタイプだ。
そのセバスチャンが自分から仕事に関わる話題を切り出したのだから、クリスも気が気ではない。
「俺、何かまずいことでも言ったか?」
「いいや。……でも、ああいう誤解を招くような言動はやめろよ」
「ああいうの?」
すこし悩んで、ようやくセバスチャンの言う「誤解を招くような言動」の心当たりを得る。
「――おいおい、照れるなよ。マイ・スウィートハート」
「だから、よせってば!」
クリスの読みは的中したようだ。セバスチャンの手がクリスの口を塞ぐように伸びてきたので、クリスはまた犬のふりをしてその手のひらを舐めた。「クソッ、この馬鹿犬!」――と口汚く怒鳴ったセバスチャンの目元がみるみるうちに赤く染まり、クリスの頬は自然と緩む。
「そんなに嫌?」
どうやら意固地になりはじめたらしいセバスチャンは、唇を曲げたままむっつりと黙りこみ、クリスの問いかけに無視を決めこんだ。
「……セブ、なあ、どうしたんだよ?」
横から頬をつついても、下から顔をのぞきこんでも、犬のふりをして吠えてみても、反応らしい反応はない。時々虫を払うように叩かれるだけだ。
「頼むよスウィートハート。返事をしておくれ」
「だから、よせって言ってるだろ!」
「……これくらいのこと、前にもどっかで言ったと思うけど」
クリスが解せないのはそこなのだ。二人の現在の関係を鑑みれば、やや際どい発言だったことは認める。けれど、普段こうしたリップサービスを好んでするのはむしろセバスチャンのほうで、恋愛にスリルやアクシデントを持ち込みたがるのだってセバスチャンのほうなのだ。
勝手なやつだな、と言う思いをぐっと飲み込んだクリスは、「ほんとうに嫌なら二度と言わない、約束する」と前置きし、なるべく真摯に見える顔を作って「だから、無視するのはやめてくれ」と続けた。クリスの頑張りは実を結んだようで、しばしの沈黙のあと、セバスチャンの頑なだった横顔が気まずげに俯く。
「……わかった」
セバスチャンはいかにも渋々といった顔でそう言うと、背もたれにしていたクッションを抱えてクリスに向き直った。
「もしもの話だ。もしいつか俺たちの関係が公になったときに――」
言いにくそうに語尾をすぼませたセバスチャンが、顔色を伺うようにクリスを見る。逃がさないぞ、と言うかわりに彼の太腿へ手を置き、続きを促すように笑いかけた。セバスチャンは心底嫌そうに唇をまごつかせ、けれどついに根負けした様子で大きく深いため息をつく。
「……あれじゃあ」
そこまで言って再び口を閉じてしまったセバスチャンに、クリスがしたり顔で追い打ちをかける。
「あれじゃあ、何?」
言ってくれなきゃわからない、と続け、セバスチャンの出方をうかがった。陥落は近いぞ、と心中でほくそ笑みながらじっと待つ。その姿を見てクリスの諦めの悪さをようやく思い出したらしいセバスチャンが、「言うよ、言えばいいんだろ!」と自棄を起こしたように怒鳴った。
「――あれじゃあ、俺がボトムだって全世界に公表されたのとおんなじだ!」
思ってもみないその答えに、クリスはしばしのあいだ言葉を失った。クリスとしては、セバスチャンの主張はあまりに飛躍した考えのように感じる。彼をまるっきり女扱いするような発言をしたつもりはないし、世の中にいる男同士の恋人たちがみな厳密にトップやボトムを決めてセックスに興じているわけでもない。過去の発言まで遡ってあれこれ詮索されたところで、聞いているほうが赤面するような言葉で臆面なくクリスの印象を語ってきたのはむしろセバスチャンのほうだ。
「……それは、ちょっと考えすぎじゃないか?」
やんわりと反論したクリスを、目元をますます赤く染めたセバスチャンがきつく睨む。
「大体、なんでいっつも俺がボトムなんだよ!」
「なんでって……なんでだろうな?」
そう言って首を傾げたクリスの顔に、セバスチャンの投げたクッションが勢いよくぶつかった。なるほど、この怒りの根底にあったのはそれか、とようやく納得がいく。
「はじめてのときに君が『痛いのはやだなあ』ってバージンの女の子みたいなこと言ったからだろ!」
「そ、そうだっけ」
「そうだよ!」
クリスには身に覚えのないことだが、セバスチャンがこれほど強く言うのだから、きっと何かの流れでぽろりと言ったのだろう。セバスチャンがいつも自然にボトムの役割を申し出てくれるから、そんなふうに気を使われていたことにも全く気が付かなかった。
「……てことは、ほんとは君もトップがやりたい、ってこと?」
恐る恐る聞いてみると、身を乗り出してクリスに詰め寄っていたセバスチャンの動きがぴたりと止まる。背中に冷たい汗が伝うのを感じた。
「そりゃあ、俺だって男だからね」
「……オーケー、そうだな」
一旦頷き、なるべくセバスチャンを刺激しないよう慎重に言葉を選ぶ。
「まずは、ごめん。フェアじゃなかった」
クリスの謝罪で少しは留飲が下がったのか、セバスチャンも気まずげに「いいよ、もう」と頷く。それから、開き直ったような強い口調でやけくそに続けた。
「誤解がないように言っておくと、俺は別にボトムが嫌だってんじゃないぜ。君が当然のようにトップを譲らないでいるのが気に食わないだけだ」
「……なるほど」
「ほんとに分かってるのか?」
クリスの煮え切らない相槌を、セバスチャンがきつく追及する。慌てて首を縦に振り、反射的にへりくだるような笑みを浮かべて言い募った。
「もちろん分かってる。……なんというか、つまり、俺たちには話し合いが必要ってことだ」
「で、何を話し合うんだ?」
「それは――」
この後、ベッドでゆっくり考えないか。
追い詰められたクリスが出した答えは、とにかく、結論を先延ばしにすることだった。シャワーでも浴びてお互いに頭を冷やせば、また違った結論が導きだされるかもしれない。このときのクリスは、愚かにもそう考えたのだ。
「――言ったな?」
セバスチャンの唇が挑発的に歪む。嫌な予感、というやつがクリスの背筋を勢いよく駆けのぼった。
「ただいま。――セブ?」
期待をこめて名前を呼ぶと、今日は一日オフだったらしい恋人の部屋着姿がリビングからのぞく。電話中のようだ。スマートフォンを耳に当てたまま、唇だけが「おかえり」の形をつくった。
「……五分後ね、オーケー」
「誰?」
「デリ頼んだんだ。食べるだろ?」
もちろんだと笑顔で答え、通話が切れた瞬間を見計らってキスをせがむ。呆れたように笑うセバスチャンの腰を抱きよせ、つんと尖った鼻先へ触れるだけのキスを落とした。
「クリス、ステイ。夕飯が先だ」
「分かってるよ、僕は躾が行き届いてるから」
「嘘つけ。ドッグトレーナーのところへ送り返すぞ」
「それは困るな」
言ったそばから諭すように爪先を踏まれ、今日ばかりは大人しくしたほうが得策だと悟る。腰に置いていた手をそっと背中に滑らせることで恋人のハグを友人同士のそれにすり替え、お伺いを立てるようにセバスチャンの顔をのぞきこんだ。猫のような鼻がふんと鳴り、唇のはしがにんまりと上がる。
「よろしい」
ならばとばかりにクリスもその仰々しい口振りにあわせ「ばう」と鳴いた。腹を抱えて笑うセバスチャンを支えながらリビングのソファーへ雪崩れこむ。
「こら!」
不可抗力で近付いた顔をぐいと押し返されたクリスは、抗議のかわりに目の前の手ひらをべろりと舐めた。ひい、と短い悲鳴を上げたセバスチャンが、両目を眇めてクリスを睨む。
「クゥリス、ステイは?」
「だってご主人、僕お腹が空いたよ。ご飯はまだ?」
「それはお店に聞いて」
「冷たいな」
「――あ、来たぞ」
セバスチャンは舐められた手を部屋着のスウェットで拭い、ちょうどよく鳴ったインターフォンに答えてばたばたと玄関へ向かった。口の固い白髪頭のコンシェルジュから見覚えのあるデリの袋を受け取り、得意気な顔で戻ってくる。
「グッドタイミング」
「さすがご主人」
それいつまでやる気? と冷たく睨まれても、クリスはめげなかった。「ばう」ともう一度鳴き、セバスチャンの手から袋を奪い取る。食欲をさそう香辛料の香りが鼻腔を満たした。中身は多分チャイナだ。
「食い意地の張った犬だなあ」
結局はセバスチャンのほうが先に折れ、夕食を抱きしめるクリスを見ながら呆れ顔で笑った。
行儀悪く袋を破きまだ湯気がのぼる箱を開けると、この世のなにより食欲を誘う香りが二人を包む。エビのチリソース炒めとめちゃくちゃに味の濃いチャーハン、オレンジチキンにデザートのプディング。思わず顔を見合わせてから、あとは黙々と胃の中へかきこんだ。
「――そうだ。見たよ、こないだの」
口のはしに付いていたチリソースをぺろりと舐めとりながら、セバスチャンが唐突に言う。やや固めのプディングを口に詰め込んだばかりだったクリスは、忙しなく咀嚼しながらその問いの真意について考えを巡らせた。
「見たって?」
「だから、こないだのイベント」
「――ああ」
二人きりで会っているときにこの手の――つまり、仕事の――話が出るのは珍しいことだ。特別避けているわけではないけれど、恋人であると同時に同業者、それも親友という浅からぬ間柄のキャラクターを演じている二人だから、不意にこぼした一言が雑談では済まないような議論を生むこともある。クリスはそうした議論を好むほうだが、セバスチャンはどちらかというと内に籠って役柄を深めていくタイプだ。
そのセバスチャンが自分から仕事に関わる話題を切り出したのだから、クリスも気が気ではない。
「俺、何かまずいことでも言ったか?」
「いいや。……でも、ああいう誤解を招くような言動はやめろよ」
「ああいうの?」
すこし悩んで、ようやくセバスチャンの言う「誤解を招くような言動」の心当たりを得る。
「――おいおい、照れるなよ。マイ・スウィートハート」
「だから、よせってば!」
クリスの読みは的中したようだ。セバスチャンの手がクリスの口を塞ぐように伸びてきたので、クリスはまた犬のふりをしてその手のひらを舐めた。「クソッ、この馬鹿犬!」――と口汚く怒鳴ったセバスチャンの目元がみるみるうちに赤く染まり、クリスの頬は自然と緩む。
「そんなに嫌?」
どうやら意固地になりはじめたらしいセバスチャンは、唇を曲げたままむっつりと黙りこみ、クリスの問いかけに無視を決めこんだ。
「……セブ、なあ、どうしたんだよ?」
横から頬をつついても、下から顔をのぞきこんでも、犬のふりをして吠えてみても、反応らしい反応はない。時々虫を払うように叩かれるだけだ。
「頼むよスウィートハート。返事をしておくれ」
「だから、よせって言ってるだろ!」
「……これくらいのこと、前にもどっかで言ったと思うけど」
クリスが解せないのはそこなのだ。二人の現在の関係を鑑みれば、やや際どい発言だったことは認める。けれど、普段こうしたリップサービスを好んでするのはむしろセバスチャンのほうで、恋愛にスリルやアクシデントを持ち込みたがるのだってセバスチャンのほうなのだ。
勝手なやつだな、と言う思いをぐっと飲み込んだクリスは、「ほんとうに嫌なら二度と言わない、約束する」と前置きし、なるべく真摯に見える顔を作って「だから、無視するのはやめてくれ」と続けた。クリスの頑張りは実を結んだようで、しばしの沈黙のあと、セバスチャンの頑なだった横顔が気まずげに俯く。
「……わかった」
セバスチャンはいかにも渋々といった顔でそう言うと、背もたれにしていたクッションを抱えてクリスに向き直った。
「もしもの話だ。もしいつか俺たちの関係が公になったときに――」
言いにくそうに語尾をすぼませたセバスチャンが、顔色を伺うようにクリスを見る。逃がさないぞ、と言うかわりに彼の太腿へ手を置き、続きを促すように笑いかけた。セバスチャンは心底嫌そうに唇をまごつかせ、けれどついに根負けした様子で大きく深いため息をつく。
「……あれじゃあ」
そこまで言って再び口を閉じてしまったセバスチャンに、クリスがしたり顔で追い打ちをかける。
「あれじゃあ、何?」
言ってくれなきゃわからない、と続け、セバスチャンの出方をうかがった。陥落は近いぞ、と心中でほくそ笑みながらじっと待つ。その姿を見てクリスの諦めの悪さをようやく思い出したらしいセバスチャンが、「言うよ、言えばいいんだろ!」と自棄を起こしたように怒鳴った。
「――あれじゃあ、俺がボトムだって全世界に公表されたのとおんなじだ!」
思ってもみないその答えに、クリスはしばしのあいだ言葉を失った。クリスとしては、セバスチャンの主張はあまりに飛躍した考えのように感じる。彼をまるっきり女扱いするような発言をしたつもりはないし、世の中にいる男同士の恋人たちがみな厳密にトップやボトムを決めてセックスに興じているわけでもない。過去の発言まで遡ってあれこれ詮索されたところで、聞いているほうが赤面するような言葉で臆面なくクリスの印象を語ってきたのはむしろセバスチャンのほうだ。
「……それは、ちょっと考えすぎじゃないか?」
やんわりと反論したクリスを、目元をますます赤く染めたセバスチャンがきつく睨む。
「大体、なんでいっつも俺がボトムなんだよ!」
「なんでって……なんでだろうな?」
そう言って首を傾げたクリスの顔に、セバスチャンの投げたクッションが勢いよくぶつかった。なるほど、この怒りの根底にあったのはそれか、とようやく納得がいく。
「はじめてのときに君が『痛いのはやだなあ』ってバージンの女の子みたいなこと言ったからだろ!」
「そ、そうだっけ」
「そうだよ!」
クリスには身に覚えのないことだが、セバスチャンがこれほど強く言うのだから、きっと何かの流れでぽろりと言ったのだろう。セバスチャンがいつも自然にボトムの役割を申し出てくれるから、そんなふうに気を使われていたことにも全く気が付かなかった。
「……てことは、ほんとは君もトップがやりたい、ってこと?」
恐る恐る聞いてみると、身を乗り出してクリスに詰め寄っていたセバスチャンの動きがぴたりと止まる。背中に冷たい汗が伝うのを感じた。
「そりゃあ、俺だって男だからね」
「……オーケー、そうだな」
一旦頷き、なるべくセバスチャンを刺激しないよう慎重に言葉を選ぶ。
「まずは、ごめん。フェアじゃなかった」
クリスの謝罪で少しは留飲が下がったのか、セバスチャンも気まずげに「いいよ、もう」と頷く。それから、開き直ったような強い口調でやけくそに続けた。
「誤解がないように言っておくと、俺は別にボトムが嫌だってんじゃないぜ。君が当然のようにトップを譲らないでいるのが気に食わないだけだ」
「……なるほど」
「ほんとに分かってるのか?」
クリスの煮え切らない相槌を、セバスチャンがきつく追及する。慌てて首を縦に振り、反射的にへりくだるような笑みを浮かべて言い募った。
「もちろん分かってる。……なんというか、つまり、俺たちには話し合いが必要ってことだ」
「で、何を話し合うんだ?」
「それは――」
この後、ベッドでゆっくり考えないか。
追い詰められたクリスが出した答えは、とにかく、結論を先延ばしにすることだった。シャワーでも浴びてお互いに頭を冷やせば、また違った結論が導きだされるかもしれない。このときのクリスは、愚かにもそう考えたのだ。
「――言ったな?」
セバスチャンの唇が挑発的に歪む。嫌な予感、というやつがクリスの背筋を勢いよく駆けのぼった。
■
セバスチャンは比較的欲求に素直なたちで、これまでもこうした体位で行為に及んだことは何度もある。世間で言うところの、いわゆる騎乗位というやつだ。現状幸いどちらのペニスもまだ部屋着のスウェットパンツの中に通常時のサイズでぶら下がったままだが、クリスのヴァージンはいままさに喪失の危機を迎えていた。
「なあ、セブ。まさかこれって――」
「おいおい、今更怖じ気づいたのか?」
セバスチャンの横に広がった唇が冷ややかなせせら笑いを浮かべ、クリスはまさしく彼の言うとおり怖じ気づきながらその顔を見上げた。力ずくで逃げようにも、クリスの太腿に置かれたセバスチャンの膝がそれを許さない。二人ともほとんど体格が変わらないから、マウントをとられた瞬間に形勢は決まってしまう。つまり、こうなってはもう逃げられないという事だ。そんなクリスの絶望的な心中を慮ってか、セバスチャンの頬に優しげな笑みが浮かんだ。
「心配するなよ。俺を誰だと思ってる?」
「……セバスチャン・共演者キラー・スタン」
「そう。セバスチャン・セックスが上手い・スタンだ」
自分で言うか、とは思ったものの、おそらくそれは事実なのだろう。少なくとも受け身のセックスはとんでもなく上手いし、クリスはそれを誰よりよく知っている。
「……安心しろって。悪いようにはしないから」
囁くような声でセバスチャンが言った。普段は甘えたがりな子供のように響くその声が、いまは恐ろしいほどの男の色気を纏ってクリスを苛む。
「それ、悪役の台詞だ……」
「ばれたか」
鼻先が触れあうほどの距離で、いたずらを成功させた子供のような顔をしたセバスチャンが笑った。その無邪気な笑顔にすっかり気をとられたクリスをからかうように、セバスチャンの右手が意味深な手付きで腹筋の膨らみを撫でる。
「ひっ……!?」
声を上擦らせたクリスを満足げに見下ろしたセバスチャンは、ゆったりとした手つきで、けれど器用にクリスのスウェットパンツの紐を緩めはじめた。ひんやりとした指が下着と素肌のあいだをくぐり、へそから続くアンダーヘアを辿るように撫でる。
「ちょ、ちょっと待って、セブ」
心の準備が、とこの期に及んで待ったをかけるクリスに、セバスチャンが呆れた顔でため息をついた。
「君、ベッドでそんなふうに言われて待ったことある?」
「それは……」
ないです、と素直に供述したクリスを褒めるように、セバスチャンの口づけが降る。額、鼻先、口の端、それから、耳元。耳殻に触れられた瞬間のほんの僅かな肩の震えを目敏く察知したセバスチャンが、柔らかな舌でそこだけを執拗になぞった。
「あっ、あ、ちょっと、それ……!」
くすぐったさと恥ずかしさに身をよじるクリスを、セバスチャンは逃がさなかった。左手でクリスの顎をつかみ、耳軟骨を優しく食む。恋人の耳を愛撫したことは数えきれないほどあるが、ここまで一方的にされっぱなしでいるのは初めてだった。くすぐったいし恥ずかしいのに、体は勝手に熱を持ちはじめる。それがますます恥ずかしくて、クリスはひたすらに体を縮こまらせた。そんなクリスを咎めるように、それまでアンダーヘアを撫でるだけだったセバスチャンの手がおもむろにクリス自身へと伸びる。
「ぎゃっ……!」
「ちょっと、もう少し色気のある声出せない?」
「無理無理無理、無理だって!」
クリスがぶんぶんと首を振ると、セバスチャンが眉を下げて困ったように笑った。
「クリス、セックスは共同作業なんだ。せめてムードを壊さないでくれよ」
その言葉に、いまさらながらセバスチャンの苦労がしのばれる。セバスチャンはいつだってクリスに協力的で、最中にも「気持ちいい」とか「大きい」とか「かっこいい」とか、クリスが喜ぶ言葉をまめに囁いてくれていた。その全てが演技だったわけではないだろうが、それでも、少なからぬ気遣いがあっての言葉だったのだろう。受け身のセックスにおける気苦労を、クリスはいまはじめて身に染みて思い知った。
「ごめん、セブ……」
「いいよ。いつもそのくらいしおらしいともっと可愛いのに」
そう言って笑うセバスチャンを直視できず、ただ顔を赤らめて押し黙った。可愛いと言われて喜ぶ趣味なんてなかったのに、今夜のセバスチャンにそう言われるとついつい照れてしまう。セバスチャンが甘い褒め言葉を嫌がる気持ちも分かる気がした。まるで初めて出来た恋人に浮かれた、恋に恋するうら若き少女のような気分になるのだ。はたから見れば、ただの髭を生やした中年オヤジだっていうのに。
押し黙ったクリスを、セバスチャンはそれ以上責めなかった。かわりに、下着の中に入ったままの右手が優しく陰嚢を撫でる。反射的に体を固くしたクリスをいたわっているのか、アナルには触れず、陰嚢とそのすこし奥だけを揉むように撫ではじめた。
「痛くないか?」
あやすように聞かれ、クリスはほとんど反射的に頷いた。痛くはないが、違和感はある。快感に変わる予感のある違和感だ。
クリスの反応に満足したのか、セバスチャンの指が僅かに刺激を強めた。何度か押し込むように摩り、何かを探るように場所を変えていく。なんとなく意図を察しはじめたクリスは、その先に待つ未知の快感に怯えて思わず腰を引いた。
「セブ、それって……」
半端な形に開いたクリスの口を、セバスチャンの柔らかな唇がぴったりと塞ぐ。いつも以上に積極的に歯列をなぞられ、言葉を奪うように舌を噛まれた。案の定抵抗できなくなったクリスの胸元に、セバスチャンのいたずらな左手が伸びる。
「ここ、見た目より柔らかいよね」
驚きに跳ねた脚を膝で押さえつけられ、クリスはただなすがままにその身を明け渡した。必死に鍛え上げた自慢の胸筋をまるで女の子の乳房のように揉まれ、混乱と屈辱感で頭が真っ白になる。これがセバスチャンでなかったら、すぐにでも一発殴って部屋を飛び出しているところだ。
「乳首で感じるタイプ?」
違う、と弱々しく否定したクリスの頬に、セバスチャンの優しい口付けが落とされる。ごめんね、そうだよね、と慰めるように囁かれ、クリスは訳もわからずがくがくと頷いた。
「じゃあ、こっちはまた今度だ」
え、と戸惑いの声を上げたクリスを撹乱するように、セバスチャンの右手がいっそうその刺激を強める。その瞬間、クリスの腰が未知の快感に跳ねた。
「ひっ……!」
驚きに見開かれたクリスの瞳に、セバスチャンの意味深な笑顔が映る。口角だけをにんまりと上げ、うっそりと細めた青い瞳で上目遣いにクリスを見ている。こういう顔をしたときのセバスチャンは、いつにもましてミステリアスで魅力的だ。恐らくは全てが計算ずくの笑顔なのだが、いまのクリスには悠長にそんなことを考えている余裕すらもなかった。
「……見つけちゃった」
低い声で囁くように言われ、クリスの背筋にぞくぞくと何かが走る。君才能あるよ、と胡散臭い業界人のようなことを呟いたセバスチャンが、おもむろに右手の律動を速めた。
「あっ、待って、待ってくれ、セブ……!」
ペニスも熱を持ちはじめていたけれど、それ以上にその奥がむずむずと疼いてたまらない。下半身に力が入らず、自分の意思とは裏腹にびくびくと跳ねる。じっとしていられないし、とにかくもどかしい。
「ここ、気持ちいいだろ? ――まるで女の子になったみたいに」
そう言われて、ようやく気付いた。クリスはいま、前立腺を刺激されて快感を得ているのだ。きもちい、きもちいから、と壊れたように繰り返し、すがるようにセバスチャンの右腕を掴む。止めて欲しくてそうしているのか、もっと強くとねだっているのか、クリス自身にも訳が分からなかった。
「ヘイ、クリス。ステイだ。分かるか?」
知らず知らずのうちにペニスへ伸びていた右手を叩かれ、ようやく我にかえる。恥ずかしさと決まりの悪さを誤魔化すように睨み上げたクリスの頬を、セバスチャンの左手が宥めるように撫でた。
「全部俺がやるから。な?」
雄臭い、とでも表現すればいいのか、とにかくクリスの見たことがない表情でセバスチャンが言った。思わず馬鹿正直に頷いたクリスの頬をもう一度撫でたあと、その手が勃ち上がったクリス自身へと伸びる。
「――あっ」
快感に仰け反ったクリスの首筋を、セバスチャンの柔らかい舌がじっくりと撫でた。その感触に背筋を震わせながら、下半身を襲う二つの快感を同時に追う。もはや認めざるを得なかった。セバスチャンはセックスが上手い。あり得ないほど上手い。
「クリス、クゥリス。おい、ステイはどうした?」
無意識に前後させていた腰の動きを咎められ、クリスは恨めしげにセバスチャンを睨んだ。けれどお仕置きとばかりにペニスの根元を戒められるなり、その威勢はあっという間に萎む。
「セブ、セブ……! もう無理だ、お願いだから……!」
目尻に涙を溜めながら、必死の思いで懇願した。このまま抱かれてしまうとしても、この際もうどうだっていい。クリスがこれからバージンを捧げる相手は、あのセバスチャン・スタンなのだから。世界中の女性が憧れ羨む、あのセバスチャン・セックスが上手い・スタンなのだ。そのセバスチャンを、クリスはこれまで好き放題に抱いてきた。ならば、たったの一度その役割が逆転したところで何だというのだ。そう自分に言い聞かせながら、覚悟を決めてセバスチャンを見た。
「セブ、おれ、頑張るから……」
まるで世界の終わりのような顔で決意を語ったクリスを、セバスチャンが呆気にとられたような顔で見返す。そして、唐突に吹き出した。
「あはははははっ、なんだよっ、その顔……!」
突然腹を抱えて笑いだしたセバスチャンを、クリスはただ呆然と眺めることしかできずにいる。そのままぱちぱちと目を瞬いていると、そんなクリスの様子に気付いたらしいセバスチャンが不意に困ったような顔で笑い、それから両腕を広げて呆然としたままのクリスをぎゅうぎゅうと力一杯に抱き締めた。
「――ごめんごめん。からかいすぎたよ」
「え」
その拍子に、目尻から一粒だけぽろりと涙が落ちる。背中に回されたセバスチャンの手が、クリスの背中を一定のリズムで優しく叩いた。その穏やかな振動でようやくクリスの恐慌が収まり、次第にクリアになりはじめた頭でセバスチャンの言葉を反芻する。からいすぎた、とは。
「君の愛を甘くみてたよ」
「……つまり?」
今日のところはこれでおしまい、とセバスチャンが笑う。なるほど、全てはセバスチャン流のジョークだったのだ――たぶん。その事実を理解した瞬間、クリスは身体中の血液が顔に向かって駆け上るのを感じた。恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。
「な、な、なに……え?」
「ごめんったら。……でも、ちょっとは分かったろ?」
「なにを……?」
「俺の苦労」
セバスチャンのその言葉に、クリスはただひたすらに頷き返した。身に染みて分かった。こうでもされなければ、きっといつまでも分からなかった。男が男を受け入れるにあたりどれだけの覚悟を要するかということや、セックスは共同作業だということ。それと、セバスチャンはものすごくセックスが上手いということについても。
「……セブ、セバスチャン。愛してる。君は最高の恋人だよ」
「俺もだよ、クリス。愛してる」
「うん」
セバスチャンの首筋に顔を埋めながら、ちいさく何度も頷いた。とんでもない遠回りをしたが、二人の仲はより深まったらしい。なぜこうなったのかというきっかけも思い出せないのだが、まあ、結果がよければいいのだ。と、思う。
「アナルは大変だから、ゆっくりやっていこう」
「……え?」
嫌な予感に固まるクリスをよそに、セバスチャンは優しく、ひたすらに優しくクリスを抱き締め続けた。
「安心して。俺、セックス上手いから」
「なあ、セブ。まさかこれって――」
「おいおい、今更怖じ気づいたのか?」
セバスチャンの横に広がった唇が冷ややかなせせら笑いを浮かべ、クリスはまさしく彼の言うとおり怖じ気づきながらその顔を見上げた。力ずくで逃げようにも、クリスの太腿に置かれたセバスチャンの膝がそれを許さない。二人ともほとんど体格が変わらないから、マウントをとられた瞬間に形勢は決まってしまう。つまり、こうなってはもう逃げられないという事だ。そんなクリスの絶望的な心中を慮ってか、セバスチャンの頬に優しげな笑みが浮かんだ。
「心配するなよ。俺を誰だと思ってる?」
「……セバスチャン・共演者キラー・スタン」
「そう。セバスチャン・セックスが上手い・スタンだ」
自分で言うか、とは思ったものの、おそらくそれは事実なのだろう。少なくとも受け身のセックスはとんでもなく上手いし、クリスはそれを誰よりよく知っている。
「……安心しろって。悪いようにはしないから」
囁くような声でセバスチャンが言った。普段は甘えたがりな子供のように響くその声が、いまは恐ろしいほどの男の色気を纏ってクリスを苛む。
「それ、悪役の台詞だ……」
「ばれたか」
鼻先が触れあうほどの距離で、いたずらを成功させた子供のような顔をしたセバスチャンが笑った。その無邪気な笑顔にすっかり気をとられたクリスをからかうように、セバスチャンの右手が意味深な手付きで腹筋の膨らみを撫でる。
「ひっ……!?」
声を上擦らせたクリスを満足げに見下ろしたセバスチャンは、ゆったりとした手つきで、けれど器用にクリスのスウェットパンツの紐を緩めはじめた。ひんやりとした指が下着と素肌のあいだをくぐり、へそから続くアンダーヘアを辿るように撫でる。
「ちょ、ちょっと待って、セブ」
心の準備が、とこの期に及んで待ったをかけるクリスに、セバスチャンが呆れた顔でため息をついた。
「君、ベッドでそんなふうに言われて待ったことある?」
「それは……」
ないです、と素直に供述したクリスを褒めるように、セバスチャンの口づけが降る。額、鼻先、口の端、それから、耳元。耳殻に触れられた瞬間のほんの僅かな肩の震えを目敏く察知したセバスチャンが、柔らかな舌でそこだけを執拗になぞった。
「あっ、あ、ちょっと、それ……!」
くすぐったさと恥ずかしさに身をよじるクリスを、セバスチャンは逃がさなかった。左手でクリスの顎をつかみ、耳軟骨を優しく食む。恋人の耳を愛撫したことは数えきれないほどあるが、ここまで一方的にされっぱなしでいるのは初めてだった。くすぐったいし恥ずかしいのに、体は勝手に熱を持ちはじめる。それがますます恥ずかしくて、クリスはひたすらに体を縮こまらせた。そんなクリスを咎めるように、それまでアンダーヘアを撫でるだけだったセバスチャンの手がおもむろにクリス自身へと伸びる。
「ぎゃっ……!」
「ちょっと、もう少し色気のある声出せない?」
「無理無理無理、無理だって!」
クリスがぶんぶんと首を振ると、セバスチャンが眉を下げて困ったように笑った。
「クリス、セックスは共同作業なんだ。せめてムードを壊さないでくれよ」
その言葉に、いまさらながらセバスチャンの苦労がしのばれる。セバスチャンはいつだってクリスに協力的で、最中にも「気持ちいい」とか「大きい」とか「かっこいい」とか、クリスが喜ぶ言葉をまめに囁いてくれていた。その全てが演技だったわけではないだろうが、それでも、少なからぬ気遣いがあっての言葉だったのだろう。受け身のセックスにおける気苦労を、クリスはいまはじめて身に染みて思い知った。
「ごめん、セブ……」
「いいよ。いつもそのくらいしおらしいともっと可愛いのに」
そう言って笑うセバスチャンを直視できず、ただ顔を赤らめて押し黙った。可愛いと言われて喜ぶ趣味なんてなかったのに、今夜のセバスチャンにそう言われるとついつい照れてしまう。セバスチャンが甘い褒め言葉を嫌がる気持ちも分かる気がした。まるで初めて出来た恋人に浮かれた、恋に恋するうら若き少女のような気分になるのだ。はたから見れば、ただの髭を生やした中年オヤジだっていうのに。
押し黙ったクリスを、セバスチャンはそれ以上責めなかった。かわりに、下着の中に入ったままの右手が優しく陰嚢を撫でる。反射的に体を固くしたクリスをいたわっているのか、アナルには触れず、陰嚢とそのすこし奥だけを揉むように撫ではじめた。
「痛くないか?」
あやすように聞かれ、クリスはほとんど反射的に頷いた。痛くはないが、違和感はある。快感に変わる予感のある違和感だ。
クリスの反応に満足したのか、セバスチャンの指が僅かに刺激を強めた。何度か押し込むように摩り、何かを探るように場所を変えていく。なんとなく意図を察しはじめたクリスは、その先に待つ未知の快感に怯えて思わず腰を引いた。
「セブ、それって……」
半端な形に開いたクリスの口を、セバスチャンの柔らかな唇がぴったりと塞ぐ。いつも以上に積極的に歯列をなぞられ、言葉を奪うように舌を噛まれた。案の定抵抗できなくなったクリスの胸元に、セバスチャンのいたずらな左手が伸びる。
「ここ、見た目より柔らかいよね」
驚きに跳ねた脚を膝で押さえつけられ、クリスはただなすがままにその身を明け渡した。必死に鍛え上げた自慢の胸筋をまるで女の子の乳房のように揉まれ、混乱と屈辱感で頭が真っ白になる。これがセバスチャンでなかったら、すぐにでも一発殴って部屋を飛び出しているところだ。
「乳首で感じるタイプ?」
違う、と弱々しく否定したクリスの頬に、セバスチャンの優しい口付けが落とされる。ごめんね、そうだよね、と慰めるように囁かれ、クリスは訳もわからずがくがくと頷いた。
「じゃあ、こっちはまた今度だ」
え、と戸惑いの声を上げたクリスを撹乱するように、セバスチャンの右手がいっそうその刺激を強める。その瞬間、クリスの腰が未知の快感に跳ねた。
「ひっ……!」
驚きに見開かれたクリスの瞳に、セバスチャンの意味深な笑顔が映る。口角だけをにんまりと上げ、うっそりと細めた青い瞳で上目遣いにクリスを見ている。こういう顔をしたときのセバスチャンは、いつにもましてミステリアスで魅力的だ。恐らくは全てが計算ずくの笑顔なのだが、いまのクリスには悠長にそんなことを考えている余裕すらもなかった。
「……見つけちゃった」
低い声で囁くように言われ、クリスの背筋にぞくぞくと何かが走る。君才能あるよ、と胡散臭い業界人のようなことを呟いたセバスチャンが、おもむろに右手の律動を速めた。
「あっ、待って、待ってくれ、セブ……!」
ペニスも熱を持ちはじめていたけれど、それ以上にその奥がむずむずと疼いてたまらない。下半身に力が入らず、自分の意思とは裏腹にびくびくと跳ねる。じっとしていられないし、とにかくもどかしい。
「ここ、気持ちいいだろ? ――まるで女の子になったみたいに」
そう言われて、ようやく気付いた。クリスはいま、前立腺を刺激されて快感を得ているのだ。きもちい、きもちいから、と壊れたように繰り返し、すがるようにセバスチャンの右腕を掴む。止めて欲しくてそうしているのか、もっと強くとねだっているのか、クリス自身にも訳が分からなかった。
「ヘイ、クリス。ステイだ。分かるか?」
知らず知らずのうちにペニスへ伸びていた右手を叩かれ、ようやく我にかえる。恥ずかしさと決まりの悪さを誤魔化すように睨み上げたクリスの頬を、セバスチャンの左手が宥めるように撫でた。
「全部俺がやるから。な?」
雄臭い、とでも表現すればいいのか、とにかくクリスの見たことがない表情でセバスチャンが言った。思わず馬鹿正直に頷いたクリスの頬をもう一度撫でたあと、その手が勃ち上がったクリス自身へと伸びる。
「――あっ」
快感に仰け反ったクリスの首筋を、セバスチャンの柔らかい舌がじっくりと撫でた。その感触に背筋を震わせながら、下半身を襲う二つの快感を同時に追う。もはや認めざるを得なかった。セバスチャンはセックスが上手い。あり得ないほど上手い。
「クリス、クゥリス。おい、ステイはどうした?」
無意識に前後させていた腰の動きを咎められ、クリスは恨めしげにセバスチャンを睨んだ。けれどお仕置きとばかりにペニスの根元を戒められるなり、その威勢はあっという間に萎む。
「セブ、セブ……! もう無理だ、お願いだから……!」
目尻に涙を溜めながら、必死の思いで懇願した。このまま抱かれてしまうとしても、この際もうどうだっていい。クリスがこれからバージンを捧げる相手は、あのセバスチャン・スタンなのだから。世界中の女性が憧れ羨む、あのセバスチャン・セックスが上手い・スタンなのだ。そのセバスチャンを、クリスはこれまで好き放題に抱いてきた。ならば、たったの一度その役割が逆転したところで何だというのだ。そう自分に言い聞かせながら、覚悟を決めてセバスチャンを見た。
「セブ、おれ、頑張るから……」
まるで世界の終わりのような顔で決意を語ったクリスを、セバスチャンが呆気にとられたような顔で見返す。そして、唐突に吹き出した。
「あはははははっ、なんだよっ、その顔……!」
突然腹を抱えて笑いだしたセバスチャンを、クリスはただ呆然と眺めることしかできずにいる。そのままぱちぱちと目を瞬いていると、そんなクリスの様子に気付いたらしいセバスチャンが不意に困ったような顔で笑い、それから両腕を広げて呆然としたままのクリスをぎゅうぎゅうと力一杯に抱き締めた。
「――ごめんごめん。からかいすぎたよ」
「え」
その拍子に、目尻から一粒だけぽろりと涙が落ちる。背中に回されたセバスチャンの手が、クリスの背中を一定のリズムで優しく叩いた。その穏やかな振動でようやくクリスの恐慌が収まり、次第にクリアになりはじめた頭でセバスチャンの言葉を反芻する。からいすぎた、とは。
「君の愛を甘くみてたよ」
「……つまり?」
今日のところはこれでおしまい、とセバスチャンが笑う。なるほど、全てはセバスチャン流のジョークだったのだ――たぶん。その事実を理解した瞬間、クリスは身体中の血液が顔に向かって駆け上るのを感じた。恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。
「な、な、なに……え?」
「ごめんったら。……でも、ちょっとは分かったろ?」
「なにを……?」
「俺の苦労」
セバスチャンのその言葉に、クリスはただひたすらに頷き返した。身に染みて分かった。こうでもされなければ、きっといつまでも分からなかった。男が男を受け入れるにあたりどれだけの覚悟を要するかということや、セックスは共同作業だということ。それと、セバスチャンはものすごくセックスが上手いということについても。
「……セブ、セバスチャン。愛してる。君は最高の恋人だよ」
「俺もだよ、クリス。愛してる」
「うん」
セバスチャンの首筋に顔を埋めながら、ちいさく何度も頷いた。とんでもない遠回りをしたが、二人の仲はより深まったらしい。なぜこうなったのかというきっかけも思い出せないのだが、まあ、結果がよければいいのだ。と、思う。
「アナルは大変だから、ゆっくりやっていこう」
「……え?」
嫌な予感に固まるクリスをよそに、セバスチャンは優しく、ひたすらに優しくクリスを抱き締め続けた。
「安心して。俺、セックス上手いから」
おわり?
