※とんでもIFなので、なんでも許せる方向けです。
Dear God
神様ってのはほとほと底意地が悪いらしい。
枯れ草色の頭にぴかぴかの軍帽がのる。それを誇らしげに見上げていた同じ色の頭を大きな手のひらが撫でる。二人揃って鏡の前に立ち、むずがゆそうに笑う。それから、糊のききすぎた襟を座りが悪そうに何度も撫でる。ややあって、似合わねえな、と小さく呟く。
俺はそれを、ずっと奴の真後ろから眺めていた。
死後の世界とか最後の審判とか、そんなものはハナっから信じちゃいない。おふくろは熱心に教会へ通っていたと思うが、俺は違った。親父も、多分違った。
そのせいかどうかは分からないが、俺はどうしようもなく半端な姿で枯れ草色の――クイン・マッケナのくすんだブロンド頭を眺めている。あれからずっとだ。あの腐れ宇宙人の腐れ宇宙船をぶっ壊して、それからしばらく記憶がなく、次に目覚めたときにはもうこの状態だった。クインの家で、奴の後ろに立って――いるのかどうかはわからない。なにせ鏡にも映らないのだ――その後ろ姿を眺めている。俺の言葉は届かないし、手が触れることもない。
ざまあねえな、と思う。ずっと死にたかった。そのくせどうやっても死にきれず、みっともなく死んだように生き続けて、ようやく見つけた死に場所だった。俺のような半端者が、背中を預かり、命を預けるのにふさわしい男と巡りあった。今度こそ死んでやろうと思った。まんまとやり遂げたと思った。その結果がこれだ。
俺はクインの完璧にぎこちない正装姿を後ろから眺め、「いかしてるぜ、兄弟」と笑った。なにせクインは顔が良いし、俺ほどじゃないが体格もいい。息子のローリーだって、きっといまにとびきりのハンサムになる。それを見届けられるかどうかはまさに神のみぞ知るというやつだが、まあ、細かいことはどうだっていい。
なにせ俺はもう死んでいるのだから。
■
この体になってから決めたルールがある。
マナーといったほうが正しいのかもしれねえが、まず、シャワーと便所にはついていかねえこと。そもそも見たくねえしさ。それと、ベッドルームもだ。これに関してはちょっとばかり事情が変わるが、まあ、プライバシーの尊重ってやつだな。
この体で目覚めてからこっち、眠気とか空腹とか、そういったもんを一切感じなくなった。酒も煙草もクスリもやれないもんで、あるいは生きていた頃より健康かもしれねえくらいだ。だからクインのやつが寝ちまうと、俺は死ぬほど(まあ、死んでるんだが)暇になる。昼間はクインの後ろにひっついてあちこち行ってみたりもするが、それも俺にはひどく退屈だった。なんつうか、英雄殿ってのは大変だな。
そういうわけで俺はほとんどの時間どうしようもねえほどの暇を持て余してぷかぷか宙に浮いているわけだが、それでも時々ぷつんと意識が途切れることがあって、それは眠るというより、誰かに突然スイッチを切られちまうみたいな感覚だった。このまま二度と目が覚めなけりゃいいと思うときもあるが、それは生きてた頃にもよく思っていたことだから、まあ、俺にとっちゃあ些細なことだ。
目が覚めると俺はいつもクインの真後ろにいて、ああ、また死に損なっちまったと思う。それから、気を取り直してのんびりとクインの後頭部を眺める。ローリーがいれば、ローリーのつむじも眺める。はじめはてっきり元サヤに収まったんだと思っていたが、マッケナ一家はいまでも別々の家で暮らしているらしかった。ローリーがいたりいなかったりするのはそのせいだ。
今夜はローリーがいない日で、しかもクインは朝からずっと偉い方との会合に出ずっぱりだった。つまり、俺が考えうる限り最も退屈なパターンだ。小難しい話は案外嫌いじゃないが、歯の浮くような世辞や社交辞令にはうんざりする。
だから、今日の俺は留守番を選んだ。何をするでもなくふらふらと部屋の中を漂い、昼前に一度ぷつんとスイッチが切れて、目が覚めると外はもう真っ暗だった。陰気な顔をしたクインがリビングのソファーに腰かけ、じっとテレビを睨んでいる。
「どうしたんだよ兄弟、浮かねえ顔して」
そう言って、肩をたたいてやりたかった。
はじめて会った時も、クインはこんな顔をしていたような気がする。いつ死んじまっても構わねえって顔をしながら、同時に誰より意地汚く生き延びてやろうって顔もしている。自分以外はどうなろうと知らねえって顔をしながら、名前も知らねえ他人のために平気な顔で銃口の前へ飛び出す。俺はその顔についていこうと思ったんだった。俺や、他のイカレ野郎どもと似ているようで、どっかが決定的に違う顔だ。いや、多分俺たちも昔はああいう顔をしていたんだと思う。とうの昔に忘れちまって、思い出せなくなっていただけだ。
クインは画面の中のジミー・キンメルを忌々しげに睨みつけたあと、いつになく苛立った足取りでシャワールームへ消えていった。俺はそれを見送り、静かな部屋に響く知らねえ女優の笑い声をぼんやりと聞いた。
■
昼間のクインは、俺のよく知る奴とは別人になる。
こっちが本当のクインだと言われちまえば、俺にそれを否定する材料はない。俺が奴の背中を預かったのは、たったの二晩かそこらの話だ。
自らのさもしい私生活をジョーク交じりに語り、生まれながらのジョックっつう感じの顔で笑ってみせるクインを、俺は斜め後ろから覗き見る。どっかの会社の偉いやつの秘書らしい女は、それを見てまんざらでもなさそうに睫毛を伏せた。
「――じゃあ、ディナーはいつも一人?」
俺はその問いの答えを知っている。週の半分かそのさらに半分かはローリーとまずそうなデリを囲み、ごくたまに、母親も連れて近所のダイナーに出かける――案の定、クインはおどけた顔で首を横に振った。
「いいや、息子がいるんだ――知ってるだろ? あの若き天才学者さ」
「ええ、もちろんよ。有名人ですもの」
あからさまな落胆を上手いこと隠して笑った女は、「きっとあなたに似たのね」という際どいラインの世辞を付け加えることを忘れなかった。クインとローリーの関係は、手放しで仲のいい親子というにはまだ危なっかしくて手探りなところがある。たったの二日力を合わせて宇宙人と戦ったところで、疎遠にしていた短いようで長い年月を埋めるためには、多分、それと同じだけの年月が必要なんだろうと思う。まあ、俺の素人考えだが。
「……どうかな」
クインの横顔が、俺のよく知る表情を浮かべた。
「あいつは――ローリーは、賢いだけじゃなく、勇敢で、そのうえ心の優しい子なんだ。……俺とは大違いさ」
何を指して大違いと言っているのか俺にはさっぱり分からないが、二人が一見全く似ていないことは確かだった。手放しにそっくりだと言ってやれるのは、髪の色と目の色、せいぜいそんなとこだろう。
でも、俺は知っている。奴ら、胆の座りかたがそっくりなんだ。宇宙人の鎧を盗んじまう親父に、それを動かしてぶっぱなしちまうガキ。得体の知れねえイカれ野郎どもに背中を預けちまう親父に、そいつらと一緒になって政府の役人に啖呵きっちまうガキ。ほら、そっくりじゃねえか。
それをいまコイツに言ってやれたらどんなにいいだろうと思う。叶わぬ願いってやつだ。
「――悪かったな、引き留めちまって。君の上司にもよろしく言っておいてくれ」
喋りすぎたと思ったのか、クインはぎこちない笑顔を浮かべて会話を切り上げた。俯きがちに女の横をすり抜け、足早にその場を去る。俺はその顔を見ることができなかった。
いまのクインにかけてやりたい言葉はたくさんあるが、その言葉が響くかどうか、それは俺にだってわからない。クソの役にも立たねえ俺が、こうしてぷかぷかと浮かんでいる意味もわからない。わからないことだらけだ。
たったひとつ確かなことは、世の女は傷心のハンサムに弱いってこと。それだけだ。
■
この状況に陥ってから時折考えることだが、他の連中は一体どこにいるんだろう。ネトルズは、奴の信じていた神のおわす天国とやらに行けたんだろうか。頭の具合はちょっとばかし不味かったが、根っこのところはまっすぐで、いいやつだった。コイルとバクスリーはうまくやってるだろうか。コイルの借りはもうチャラになったはずだし、バクスリーだって、そんな貸しなんざとっくの昔に許していたはずだ。きっとうまくやっている。そうに違いない。リンチは――あれで結構ブッ飛んだやつだったから、もしかすれば地獄で俺を待ってるかも。あいつのマジックはもうとっくに見飽きてるが、まあ、いい暇潰しにはなる。
ところで、なぜ俺だけがこんな体になっちまったんだろう。これも、この状況に陥ってから時々考えることだが、答えなんざ出るわけもなかった。真面目に教会へ通ってりゃあ、あるいはその答えも見つかったのかもしれない。信じるものは救われるとはよく言ったもんで、自分以外に何か信じるものを持ってる奴は、こういうどうしようもない状況に陥ったとき、その何かのせいにして適当な落としどころを見つけるんだろう。俺はその何かを持たねえから、生前の行いとか、神の裁きとか、そんな馬鹿げた理由で納得がいくわけもなかった。でも、それ以外に思い当たるふしもねえから、やっぱり生前の行いが悪かったんだろう。自殺は大罪だって言うしさ。
そういうわけで天国からも地獄からも見放された俺は毎日飽きずにクインの頭を眺めているわけだが、今夜の俺は、珍しくローリーの後頭部を眺めていた。
「パパ?」
ひとりぼっちのローリーが、不安そうな顔でちいさな鼻を擦る。いまのローリーを気味の悪いやつだといじめるガキどもはいなくなった。いまのこいつは大人とだって対等に渡り合えるし、それどころか、俺なんかにゃさっぱり理解もできないようなデカイ仕事をやってのけている。でも、それでもローリーはまだ子供だった。
「……パパ?」
ベッドルームのドアに何度呼びかけたところで、ローリーの望む返事は返ってこない。クインはたまにこういうふうになる。ひとりっきりでベッドルームに閉じ籠もり、ローリーすらも寄せ付けなくなる。俺もなんとなく近寄りがたくて、ローリーの後ろでその小さな頭を眺めている。
賢いローリーは父親との時間を潔く諦め、鼻をかきながらリビングのソファーへよじ登った。字しか書いてねえ分厚い本を膝に置き、足をばたつかせながら適当なページを読み始める。俺も後ろから覗きこんでみたが、こりゃあ多分英語じゃねえ。よしんば英語だったとしても、俺には逆立ちしたって読めねえような中身に違いなかった。
十分くらいたって、ようやくクインがリビングに現れた。ひでえ顔。もし俺に体があったら、すぐにでも肩を組んで声をかけてやりたくなるような顔だ。
「――悪かったな、ローリー。何読んでる?」
「パパにはちょっと難しい本」
言ったな、とおおげさに笑ったクインの手がちいさな頭を乱暴に撫でた。嫌がるふりをしながら、ローリーがほっとしたような顔で笑う。それを見たクインも似たような顔で笑った。
クインの腕がローリーを抱きかかえ、ローリーの細っこい腕がクインの首に巻きつく。あのときは俺も、こんなふうにローリーのことを抱きかかえた。賢くて勇敢なローリーは、父親以外の男に荷物のように運ばれても泣きわめいたりビビったりしねえで、じっと黙って俺にしがみついていた。ほんとうに、大したガキだ。
そのローリーが、眉をしかめて鼻を擦る。――泣きそうな顔で。
「ネブラスカの匂いだ」
それが俺の名前だと理解するまで、すこしばかりの時間が必要だった。
「……よく、分かったな」
クインが言うと、ローリーはちいさな声で「分かるよ」と続けた。
「ネブラスカの悪い習慣。パパにも移っちゃった?」
とっくに動いちゃいねえはずの心臓がみしみしと音を立てて軋む。ああ、クイン。兄弟。なんて馬鹿なやつ。
「……パパも、寂しい?」
クインの両腕が、ローリーの細い背中を強く抱き寄せた。顔は見えない。見えなくてよかったと思う。
ローリーの首筋に埋められた頭がちいさく縦に動き、俺はいまはじめて、奴が寂しいのだと知った。それ以上のことは知りたくなかった。知ったところで、今の俺には何をしてやることもできない。触れられねえし、声すら届かねえんだ。ここにいるぜ、見てるぜって奴らに教える手立てもねえ。
これ以上は耐えられないと思った。だから、シャワーと便所以外じゃ唯一立ち入ったことのないクインのベッドルームへ入った。未練たらしく奴の後ろ姿を見続ける生活は、これで終いにするつもりで。あとは適当にその辺を彷徨って、いつかもしれない神の情けを待てばいい。だから、最後に。そう思った。
だが、俺はそこから一歩も動けなくなった。
「嘘だろ」
サイドボードに置かれた灰皿と、山になった吸殻。味わって吸う気はねえらしく、どれも半分ほど燃やしたところで潰されている。もったいねえな、と笑ってみたが、多分うまくいかなかった。辺りに散らかる空のパッケージに、どうにも見覚えがありすぎて。
「……馬鹿だな、兄弟」
俺なんかのために。たったの二晩つるんだだけの死にたがりのイカレ野郎のために。そんな奴のために、お前が傷ついたり悲しんだりする必要はこれっぽっちもねえのに。
お前のおかげで、俺の願いは叶ったんだ。ずっと死んじまいたかった。俺は疲れてた。生きていることにも、もういねえ誰かに謝り続けることにも。死ねねえ理由を考え続けることにも。悪い夢にも止まねえ頭痛にも疲れてた。疲れてたんだ。
それなのに今は、あのクソったれた俺の体が恋しくてたまらなかった。
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意識が途切れる間際、俺は久しぶりに神様とやらに祈った。
もう二度と目が覚めませんように。
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次に目覚めたとき俺の視界いっぱいに映ったのは、見たこともない真っ白な天井だった。クインの後頭部じゃない。
ずいぶんと味気がねえ天国だな、と俺は思った。地獄にしたって静かすぎる。そう思った瞬間、遠くで耳障りな警告音が鳴った。咄嗟に体を起こそうとして、失敗する。力が入らねえ。
ああ、俺はやっぱり地獄行きか。そう思った瞬間だった。
「――ネブラスカ!」
クインの声が聞こえる。これが地獄への餞別ってことだろうか。悪くねえが、顔が見てえな。そう思った瞬間、クインの顔が俺の視界を塞ぐ。おいおい、ずいぶんと余裕のねえツラしてんな。
「ネブラスカ! おい! 返事しろよ、なあ!」
「……無茶言うなよ、兄弟。俺は死んだんだぜ」
我ながら、ひどい声だった。まあ、いい。どうせ届かねえんだ。
そう思った俺を裏切る様に、クインの両目が見開かれる。その青い両目からぼろぼろと馬鹿みてえな量の涙があふれてきて、俺は、一瞬何が起きているのか分からなくなった。
「死んでねえ、死んでねえよ。お前は生きてるんだ……!」
何度もそう繰り返しながら、クインの手のひらが俺の頬をたたく。それから、きつく抱きしめられた。クインの肩越しに、医者や看護師、それと、ローリーの顔も見える。涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
なるほど、死んでねえのか。俺は――生きてるのか。
「……俺はよっぽど、神様に嫌われてんだな」
うまく笑えやしなかったが、でも、久々にいい気分だった。
死に損なったことが、こんなにうれしいなんてな。
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