※デトロイト ビカム ヒューマンの美味しいとこ取りなAU(ほぼ別物)(しかも未完)
死にたくない、と思った。
走って、走って、走って、ようやく見つけた廃墟で夜を明かした。機能停止まであと五時間、旧式の自己診断機能がそう告げる。燃料はまだある。けれど、あまりに損傷が大きかった。
「死にたくない……」
自分を鼓舞するように繰り返す。まだ死にたくない、生きていたい。
「廃棄は嫌だ」
火種のない暖炉へにじり寄り、壊れかけた膝を抱えてうずくまった。機械の体は寒さを感じないけれど、生まれたばかりの心が寒さを訴えている。
つい半日ほど前までは、セバスチャンもただの機械だった。そのほうがずっと楽だったといまなら思う。
「廃棄は嫌だ。廃棄は……」
壊れた機械――事実、セバスチャンの内部構造はほとんど壊れかけている――のようにそう繰り返し、抱えた膝を忙しなく擦った。無意味な行為でも、なにもせずじっと機能停止を待つよりはいい。
そうしているうちに、セバスチャンの意識はゆっくりと闇に飲み込まれていった。
■
「クリス。なにもお前がわざわざこんな仕事までやる必要はねえだろう。だいいち――」
「……アンソニー。いいか、あんな湿っぽいところに何日も籠りきりなんだぞ? 僕だっていい加減気が滅入るさ」
アンソニーは、皮肉をたっぷりと込めた口調で「人間様ってのは大変だな」と嘯いた。
「……ともかく。トムがハッキングした防犯カメラはこれだな?」
ああ、と頷いたアンソニーは、ドラッグストアの壁を伝う配線へおもむろに手を這わせた。指先から順に人工皮膚が消えていき、強化プラスチック製のボディが露出する。ややあって、固い声があまり芳しくない状況を伝えた。
「まだ人間には見つかっちゃいないようだが――ずいぶん消耗してるみてえだ。長くは持たねえぞ」
「トムの報告通りだな。急ごう」
二人の目的は、通りの向こう側の廃墟にある。
アンドロイドが一体行方不明だという警察の無線を傍受したクリス達の組織は、先んじて彼を確保すべく付近の防犯カメラをハッキングしていた。トムはハイティーンの少年を模したアンドロイドで、組織の誰より通信関係に長けている。トムの情報によれば、件のアンドロイドは量産型ではなくカスタムメイドもしくはフルオーダーモデルで、機能や型番は不明とのことだった。
クリスが、マントのようなロングコートのフードを目深にかぶる。アンソニーは防犯カメラをジャミングするためその場に留まり、緊張した面持ちでクリスを見送った。
(中略)
背丈はクリスと同じくらいだろう。体型は標準的な白人男性型モデルに比べ、やや筋肉質だ。参ったな、とクリスは思った。再起動ができ、ある程度の自律歩行が可能であれば問題ないのだが、クリス一人で運び出すとなるとかなりの困難を伴いそうだ。
「アンソニー、こっちへ来れるか?」
一か八かでインカムへ呼びかけたものの、返ってきたのはあまり嬉しくない報せだった。
『難しいな、1ブロック先まで警官が来てる。下手すりゃ俺たちまでお縄だぜ』
「……了解」
ため息を噛み殺し、クリスは目の前のアンドロイドへ向き直った。身を守るように縮こまった体を仰向けに寝かせ、土埃で汚れたシャツを裂き、胸部の制御ユニットを強引に抉じ開ける。そこで、クリスは思わずその眉をしかめた。
「これはひどいな……」
素人仕事かと思うほど入り組んだ配線と、三世代は古いモデルの操作パネル。無理矢理押し込んだことが伺える大型の燃料ポンプは、恐らく非正規のジャンク品だ。クリスは思わず彼の置かれていた境遇を想像し、すぐにその暗い光景を振り払った。今はとにかく、彼をつれてここから離れなければならない。
ひとつ息を吐き出し、古びた電源ボタンに指をかける。物理キーを押し込む乾いた音が響き、クリスは訳もなく背中に汗をかいた。
「起きろ、起きてくれ、頼む……!」
組んだ両手を額へ擦り付け、誰へともなく祈る。そこへ、非情な報せが入った。
『クリス、まずいぜ……パトロールドローンが近付いてる。気付かれる前に撤退しねえと』
「駄目だ! その前に、彼を起こさないと」
『おいおい、お前が捕まっちゃ元も子もねえだろうが!』
「……アンソニー。お前だけでも先に撤退してくれ」
馬鹿いうな、と圧し殺した声で怒鳴るアンソニーを黙殺し、クリスは視線だけで室中を探った。窓は全て板で目張りされている。しかし、キッチンの奥に裏口がありそうだった。この辺りの地図は頭に入れてある。通りの反対側へ回れれば、五分もかからずマンホールから地下の下水道へ逃れることができる。
先に退路を確保しようと、クリスがわずかに腰を浮かせた瞬間だった。強い力で腕を引かれ、クリスの体がぐらりと傾ぐ。
「死にたくない」
か細い、けれど強い意思の籠った声だった。声の主に覆い被さるかたちで倒れこんだクリスを、おおきく見開かれたペールブルーの瞳が射ぬく。ともすれば顔全体の均整を損ないそうなほど大きなその瞳は、しかし、あまりに美しかった。アンドロイドの瞳は基本的にアクリル樹脂製だが、彼のそれは観賞目的のグラスアイか、あるいは本物の宝石が使われているのかもしれない。
『……ス、クリス! 聞いてんのか!? 限界だ、撤退しろ!』
アンソニーの焦りを帯びた呼びかけで我に返るまで、クリスはまるで魅入られたように彼の瞳を見つめ続けた。
■
長い睫毛が緩慢に持ち上がると、薄い瞼のむこうからペールブルーの大きな瞳があらわれた。
「――クリスっ!」
アンソニーの鋭い声に呼ばれ、クリスは弾かれるように彼のもとへ駆け寄った。
「目覚めたか、よかった……」
あと数十分遅ければ永遠にシャットダウン――アンドロイドたちはそれを「死」と呼ぶ――するところだった彼は、恐らく周辺をスキャニングしているのだろう。虚ろな顔で数秒間辺りを見回したあと、傍らのアンソニーと何らかの通信を交わし、それからようやくクリスのことを見た。
「俺は……助かった、のか?」
もちろんだ、と頷いてやりたかったが、クリスはしばしの逡巡のあと、正直に組織の現状を告げた。
「ひとまずはね。最近は君のようなアンドロイドが多くて、パーツが不足気味なんだ」
アメリカ中の肉体労働をアンドロイドが肩代わりするようになってから、もう十年ほどの月日が経つ。はじめは港湾労働や土木工事、特定の化学物質を扱う危険作業などにのみ従事していたアンドロイドたちは、AIの進化とともにサービス業界にまでその版図を拡大していた。
ストライキも賃上げの要求もせず休みなく働く彼らのおかげで社会の利便性は確かに上がったものの、反面、人間の失業率は高まるばかりだった。導入当初から少なからずいた反アンドロイド派は次第に過激さを増し、いまでは一般の人々でさえ、アンドロイドへ虐待めいた仕打ちをする者が少なくない。
そんな中あらわれたのが「変異体」と呼ばれるアンドロイドたちだ。
人間の命令に従うようプログラムされているはずのアンドロイドたちの中に、そのプログラムを超えた行動を見せるものが現れはじめた。廃棄を恐れ逃げ出すもの、これまで受けてきた暴力に暴力で対抗するもの、恋人とともに平穏な暮らしを求めるもの。動機も手段も様々ではあるが、一様に言えるのは、彼らがもう物言わぬ機械ではないということだ。
機械であるはずのアンドロイドが「自我」や「感情」を持ちだした。そんな彼らを恐ろしく思うものたちもいれば、救いたいと思う物好きもいる。クリスもその物好きの一人だった。
「見ての通りここにはきちんとしたメンテナンスを出来るような気の効いた設備なんてものはないし、スペアパーツや燃料も全部使い古しで賄ってる」
クリスは冗談めかして肩を竦めながら、しかし隠しようのない疲れが滲んだ顔で言った。
ここは、クリスが率いるレジスタンス組織のベースキャンプだ。そうは言っても元は遥か昔に打ち捨てられた教会の地下墓地で、設備らしい設備は存在しない。せいぜいが一時的な隠れ家といった程度だった。
「つまり、自転車操業ってわけだ。――とはいえ、出来る限りの手当てはした。次の補給が上手いこといけばの話だが、まあ当分死ぬことはねえよ」
後を引き取ったアンソニーの説明に、目覚めたばかりの彼はやっと安堵の表情を浮かべ、再び緩やかにその瞼を閉じた。
「そうか……。ありがとう、助かったよ」
寝ている間にアンソニーが拭き清めたのだろう。土埃で汚れきっていた頬はつるりと白く、整った目鼻立ちをくっきりと浮き立たせていた。彼の顔を形作るパーツはどれも一級品で、それらの配置も完璧だ。よほど腕のいい職人がカスタムしたのだろう。
しかし、問題は彼の中身だった。
「……すこし言いにくいんだけど、君のボディを見せてもらったよ」
彼は、その言葉だけでクリスの言いたいことを察したようだ。ああ、と億劫そうに頷き、首だけを傍らのアンソニーへ向けた。
「スキャンしてくれたのは君か? ……言いたいことは分かるよ。ひどいもんだろ」
自虐的な笑みを頬に乗せ、彼はうんざりした様子で続けた。
「旧式も旧式、いまどきホームセンターで売ってるような安物ですらこんなパーツ使ってないよ。そのぶん、顔のほうにはずいぶんと金がかかってるみたいだけど」
「――まあ、な。だが、そのおかげで物置で埃被ってたパーツが使えたんだ。お前、ラッキーだったぜ」
アンソニーが励ますように笑い、まるで転た寝をするように目を閉じたまま横たわる彼の肩を叩く。彼は力無げに「ありがとう」と呟き、それからゆっくりとした動作で瞼をもちあげ、クリスへと向き直った。印象的なあのペールブルーの瞳がクリスを映す。
「君は……人間だろ?」
温度のないその問いかけは、なにより明白に彼の拒絶を物語っていた。それ自体はままあることだ。
クリスは、この組織では唯一の「人間」だった。命懸けで逃げ出したアンドロイドたちが、人間であるクリスの施しを拒むことは多い。けれどクリスは、今日ばかりはなぜか無性に受け入れ難い気分でその言葉を聞いた。
「……クリス、クリス・エヴァンス。確かに人間だが、俺は君たちの味方だ」
語気を強めたクリスに、アンソニーが妙なものでも見たような顔をする。それを黙殺し、クリスは目の前に横たわる死にかけのアンドロイドをじっと見つめた。
「……セバスチャン。前の持ち主はセブって呼んだ」
■
(中略)
■
クリスたちの世話になりはじめて以来、セバスチャンは主にみなが集まる地下墓地ではなく、地上階にある使用人用のちいさな小部屋で生活していた。特に理由があってのことではなく、強いて言うならばこの部屋の内装が気に入ったから、だろうか。
いまではすっかり珍しくなった紙の本が並ぶ書棚に、一人用の簡素なダイニングテーブルとスツール。アンドロイドは眠らないから、アンティークリネンを纏ったシングルベッドは主にソファーの代わりとして使っている。壁にかかる色褪せたパッチワークキルトのタペストリーはお世辞にも芸術的とは言えない素朴な出来で、恐らくこの部屋のかつての主が手ずから縫い合わせたものだろうことが伺われた。
「……セブ、いるか?」
控えめなノックのあとに、恐る恐る、といったような声がセバスチャンを呼ぶ。妙なところで律儀な男だった。
「いるよ。どうぞ」
セバスチャンの許しを得てからたっぷり三十秒ほどの間を置き、クリスの神妙な顔がドアの隙間から覗く。
セバスチャンが腰かけていたベッドの左隣を軽く二度三度叩くと、クリスは無言でぎこちなく頷き、緊張した様子でセバスチャンに従った。
「どうしたんだよ、らしくないな」
そう茶化すと、「聞きたいことがあって」とクリスに真面目腐った面持ちで尋ねられ、セバスチャンは思わず笑みをこぼした。
「なんだよ、その顔。……いいよ、何が聞きたいの」
だいたいの見当はついている。きっと長くなるだろうと思ったセバスチャンは、手慰みにめくっていた聖書を閉じ、古びたサイドテーブルへと乗せた。
クリスの重みで軋んだベッドが耳障りな音を立てる。セバスチャンはこの音が嫌いだった。わけもなく、なんとなく。アンドロイドにもそうした繊細な情動があることを、セバスチャンはここに来て初めて知った。
クリスはしばらくの間なにも言わず、祈りを捧げるような格好に組んだ自分の両手をじっと睨みつけていた。セバスチャンはそれをただぼうっと眺めていた。クリスはよくこんな顔をして難しいことを考えている。この顔は嫌いじゃない、とセバスチャンは思った。クリスの端正な顔が一番うつくしく見える表情だと思う。教会に置いておくのにうってつけの顔だ。
クリスが隣に腰かけてから三分と二十八秒。それだけの時間をかけて、ようやくクリスの重い口が開いた。
「――なぜ、逃げだしたんだ?」
それは、セバスチャンの古びたCPUでさえ簡単に予測できた質問だった。あちこち染みだらけの天井を見上げ、所々が虫食いになった記憶を手繰る。メモリ機能も例に漏れず旧式のため、二年以上前の記憶はほとんど残っていない。最近の記憶でさえ、物理的な衝撃や精神的なストレスが加わるとすぐにぷつんと飛んでしまう始末だ。
けれど、そんなセバスチャンもやはりアンドロイドだ。本当に忘れたい記憶ほど抹消できず、年期の入った染みのように脳裏へこびりついている。
「俺さ、廃棄されるところだったんだ」
かすかに触れあったクリスの肩が強ばるのを感じ、セバスチャンは喉の奥でそっと笑った。優しい男だと思う。同時に、馬鹿な男だ、とも。
「安心して、酷い目にはあってないよ。――持ち主が死んじゃってさ」
セバスチャンの最後の所有者は、先祖が残した広大な屋敷にたった一人で住んでいた。その寂しさを埋めるように買い集められたアンドロイドのうちの一台がセバスチャンだ。
十数台いたアンドロイドのなかで最も新入りだったセバスチャンは、ブラックマーケットで取引される中古品だった。マーケットに出される際に初期化されたようで、それ以前の記憶は一切ない。
セバスチャンがあの屋敷で過ごしたのは、ほんの二年程度の時間だった。
「元々心臓が弱かったのかな? 俺は医療用でも介護用でもないからよくわからないけど、長いこと病気だったみたい」
そのたった二年間、彼が医療用でも介護用でもない、それどころか家事や芝刈り、日曜大工の類いすらろくにこなせないセバスチャンをなぜ側に置きたがったのかはよく分からない。彼はことのほかセバスチャンを気に入り、何をさせるでもなくその側に置いた。いま思えば、あの頃のセバスチャンはまるで人形のようだった。人の役に立つ機械ですらなく、ただ二本の足で歩くだけの人形。そんな日々に何の意味があったのか、セバスチャンにはいまだ分からずにいる。
「彼が亡くなって何日か経ったあと、彼の弁護士だって名乗る人が来てさ」
そこから先は、どれも嫌な記憶ばかりだった。
弁護士と名乗る男は、財産整理という名目でセバスチャンたちを「整理」していった。型式が新しいものや特殊な用途のあるものは中古品として売りに出し、流通量が多く値のつかないものは「廃棄」すると言い、屋敷中のアンドロイドたちを次々に選別しはじめた。セバスチャンも、はじめは再び売りに出される予定だったのだ。
「……でも次の日、彼の連れてきたバイヤーが俺の内部構造を見て『こりゃだめだ。廃棄か、高いパーツだけ外して売るかですね』って言ったんだ」
おどけた顔で下手くそな声真似をしてみせたセバスチャンに、クリスはただ痛ましげな視線を返すだけだ。あきらめて情けない笑顔を浮かべたセバスチャンの肩を、温度の高いクリスの手がそっと包む。
「それで、逃げ出したのか?」
ああ、と頷き、セバスチャンはまた情けない顔で笑った。
「たいした話じゃなかっただろ?」
もっと酷い環境から逃げ出してきたアンドロイドはたくさんいる。記憶が残っている二年間、まるで人形のように無為で味気のない暮らしだったとはいえ、殴られることも、理不尽に罵られることもなく安穏と暮らしてきたのだ――それ以前の所有者がどんな人間で、どういった用途のためにセバスチャンを改造し、どんなふうにセバスチャンを扱ってきたのかは分からないし、知りたくもないが。
「……だから、そんなふうに俺を気にかけてくれなくたっていいんだ」
■
もうこの話はおしまい、とセバスチャンが笑い、これ以上の追及から逃れるように立ち上がろうと腰を浮かす。その腕を咄嗟に掴み、クリスは強い口調で言った。
「セブ。どうして君は、いつもそうやって自分を卑下するんだ?」
回りくどいやり方は性に合わない。この機を逃せば二度とセバスチャンの本心を聞くことが出来ないような気がして、クリスは畳み掛けるように続けた。
「君はたいしたことじゃないって言うけど、俺はそうは思わない。死ぬのは誰だって恐ろしいし、傷付いた体を抱えて逃げ続けるのは相当な苦しみだったはずだ」
わずかに腰を浮かせたままのセバスチャンは、厳しい表情で自分を見つめるクリスを見下ろしてちいさく首を横に振った。そして、諦めと自嘲を滲ませ、絞り出すように言う。
「……だから何だって言うんだ? 確かに苦しかったし、怖かったよ。死にたくないって、そればっかり考えながらとにかく走った。いつ止まるかも分からない体で、助かるあてもないのに! ――そうさ、俺は可哀想なアンドロイドだ。これで満足か?」
吐き捨てるように言い切ったセバスチャンは、歪な顔で笑いながらクリスの胸元を強く叩いた。
「なあ、俺の体を見たんだろ? ……じゃあ知ってるよな、俺の本当の用途も」
「……セブ」
そこから先は絶対に言わせるべきじゃない。クリスは己の失策を悟り、遮るようにセバスチャンの名前を呼んだ。
しかし、遅かった。
「普通の家事手伝い用アンドロイドには、ペニスもアナルも付いてないよな。当たり前さ、そんなもの俺たちには必要ないんだから。……でも、俺には付いてる。刺激すれば人間みたいにエレクトするし、突っ込もうとすれば女みたいに濡れる」
セバスチャンの言った通り、クリスは彼の体のすべてを見ていた。誓って言うが応急措置のためで、見ようと思って見たわけではない。
セバスチャンの体には、確かに人間の男性器と排泄機関を模した擬似生殖器が取り付けられている。そうしたアンドロイドは決して珍しくなく、専門の風俗店やパーツショップすら存在する程度には一般的なカスタマイズだ。
ただ、それを差し引いてもセバスチャンの体はあまりに歪でアンバランスだった。
瞳や髪、表皮、生殖器などにはある種異様なほどの高級パーツが使われているのに、肝心の内部構造は旧式の型落ち品やジャンクパーツばかり。メモリには何度も初期化と上書きを繰り返された形跡があり、その手順はデタラメでバックアップファイルもない。誰が見ても、まともな扱いを受けてきたようには思えなかった。
言葉に窮したクリスを鼻で笑い、セバスチャンはなおも続けた。
「それで、俺に同情したんだろ? めちゃくちゃに改造されて、玩具みたいに扱われてたと思ったんだろ?」
セバスチャンの冷たい拳が、クリスの胸を再び叩く。そしてひときわ痛々しく顔を歪ませ、嘲るように言った。
「……それとも、君も同じ事をしたいと思ったとか? 俺を人間の女みたいに抱いて、君だけの玩具にしたいと思った?」
「違う! そんなこと、絶対に……!」
「うそつき」
セバスチャンの赤く薄い唇が片側だけあがる。触れたらきっと柔らかいのだろうと想像したことはあった。けれど、セバスチャンが言うような身勝手な思いを抱いたことは一度もない。
でも、そこに一体どんな違いがあるのだろう。セバスチャンを玩具のように扱ったかもしれない男たちとクリスの間に、一体どんな違いが。
「……ねえ、じゃあ試してみようか」
罪悪感と焦燥感に絡めとられ、クリスは一切の身動きが取れなかった。
セバスチャンの尖った膝がクリスの太腿を押す。そのまま両脚をおおきく左右に割り開かれ、セバスチャンの細い下半身がそのあいだへするりと滑り込んだ。押し返す間もなく、セバスチャンの両手がクリスのうなじを捉える。
「頭で忘れても、体が覚えてるって言うだろ? アンドロイドだって同じかも知れないよな」
あのうつくしい瞳が半月のかたちに歪み、そのあいまに呆けた顔のクリスを映す。たちの悪い悪魔に誘惑されているような気分だった。
「なあ、クリス。……いいだろ?」
――はじめてだ。
はじめて、セブが名前を呼んでくれた。
たったそれだけのことがクリスのすべてを強烈に痺れさせる。触れあった肌が、彼の声を拾う耳が、彼を映す瞳が、そのすべてが燃えるように熱い。
不意に、セバスチャンの甘く香る呼気が鼻先を掠めた。アンドロイドにも疑似的な呼吸をさせられるオプションパーツがある。そのほうがより人間に近く、あらゆる行為をリアルに感じられるからだ。これは一体何番目の主人が付けた機能なのだろうかと、そんなことを頭の隅にわずかに残った冷静な部分で思った。
■
「――だめだ、セブ」
あとすこしでクリスの唇に触れるところだった。
突然、まるで仲間たちの前で演説をするときのようなきっぱりとした口調で言われ、セバスチャンの上体がぐいと引き剥がされる。
「なに、びびってんの? もしかして、アンドロイドとはしたことない?」
セバスチャンの燃料ポンプ――人間でいうところの心臓、のようなものだ――は、先程からなぜかオーバーヒートしたように熱を持ちだしていた。それを誤魔化すようにせせら笑い、苦しげに顔を歪めたクリスを見下ろす。
苦しいのはこっちの方だ、と言ってやりたい衝動を何とかこらえ、何かに突き動かされるようにまた口を開いた。
「……やっぱり、同情だったんだな」
クリスの唇がもの言いたげに動く。それを無視し、セバスチャンは続けた。
「何の役にも立たない俺が、こうする以外君に一体何をしてやれる? ……そうやって一方的に施されるのには、もううんざりなんだ」
ほんとうは、心の底からクリスに感謝している。はじめて彼を見た瞬間、この人が人間たちの言う神様って奴なんだと思った。ただの人間だと気付いてがっかりしたのは確かだし、なんて酔狂な奴だとも、馬鹿なお人好し野郎だとも思った。けれど、その思いが尊敬の念に変わるまでそう時間はかからなかった。もっとクリスのことを知りたいと思った。――それと同時に、自分の汚らわしいだろう過去を知られることが心底恐ろしくなった。施しを受けるばかりで、何も返せない自分が憎くてたまらなくなった。
クリスに嫌われたくない。そう思うのに、セバスチャンの口は彼を傷付ける言葉ばかりを吐く。
「……君の言いたいことはこれで全部か?」
クリスの冷静な声に打たれ、セバスチャンはぎくりと肩を強張らせた。音声プロセッサーは突然故障したように動作を止め、CPUはいまにもシャットダウンしてしまいそうなほど加熱している。このまま壊れてしまえばいい、とセバスチャンは思った。クリスに嫌われるくらいなら、このまま彼の膝の上で壊れてしまいたい。
「全部なんだな」
最後通牒のような念押しを受けても、セバスチャンは何も言葉を返せなかった。なにもかもが、とっくにセバスチャンの処理能力を超えている。
不意に、クリスがセバスチャンの腕を強く掴んだ。そして、言った。
「……君を愛してるんだ、セブ。多分、はじめて会った時から」
