窓のそとに突然虹色の巨大な光源が落ちてきたとき、一度はすわ侵略かと身構えたものの、そういえば似たような光景をワカンダでも見たような気がするぞと気付いたのは、その光の束の中から見覚えのある長身のハンサムが現れたからだった。
「ソー! 久しぶりだな」
隣で新聞を読んでいたスティーブは嬉しそうに笑うと、窓を開け放って長身のハンサム――ソー・オーディンソンと親しげなハグを交わした。スティーブとバッキーが並んで立つことすら窮屈なほど手狭で簡素なベランダなのに、ゴージャスな笑顔で仁王立ちするソーの美貌にかかればどこだってステージかランウェイのように見える。
「スティーブ! 息災だったか?」
「それなりにね。ところで、何か用事でも?」
「ああ、例の魔術師に呼ばれてな」
へえ、と頷いたスティーブに、ああ、とソーも鷹揚に頷きかえす。事態を飲み込めていないのはバッキーだけだ。隣の部屋に住むレディからもらったチョコチップ入りのクッキーにかじりついたまま、マグカップ片手に呆然とベランダを眺めている。
そんなバッキーの様子に気付いたのか、夏の青空を映したような人懐こい両目が急にバッキーを捉え、目が合うとにっかり微笑まれた。
「彼は?」
「バッキーだ、僕の幼なじみ。ほら、ずっと探してた彼だよ。――ワカンダで紹介しなかったっけ?」
「ああ、思い出したぞ!ウサギが腕を欲しがっていた」
「そうそう」
スティーブに促されるよりもはやくずかずかと室内へ上がり込んできたソーが、その逞しく大きな手のひらでバッキーの肩を掴む。
「元気そうだな!安心したぞ」
「あ、ああ。ありがとう……」
なんとか口の中のクッキーを飲み下し、バッキーはやっとの思いでぎこちない笑顔を浮かべて応えた。スティーブほど彼と親しくはなく、さりとて友人の友人としてなにか当たり障りのないことを言わなくては、と視線を巡らせていると、ソーの肩越しにこちらを睨む見覚えのない長身のハンサムがいることに気付く。
「えーっと、あの、そちらは……?」
バッキーが恐る恐るその人影を指差すと、にこにこと成り行きを見守っていたはずのスティーブが突然素頓狂な声を上げた。
「ロキ!?」
ロキ、と呼ばれた男はうんざりとした風を隠すこともなくスティーブを見下ろすと、高級そうなスーツの裾を払いながらつかつかとソーの横に立った。
「兄上。このような家畜小屋に何の用かと思えば……」
「ははは、相変わらず口の減らないやつだ」
思わず「家畜小屋……」とオウム返しにつぶやいたバッキーを、ロキの冷たい視線が射ぬく。
「こんなところに二人も住んでいるのか? 驚きだな」
「住めるさ。それよりなんでお前がここにいるんだ!」
バッキーを庇うようにぐぐっと間に割り込んできたスティーブが、いつにない剣幕でロキを怒鳴りつけた。それをソーが慌てた様子でさえぎる。
「すまないスティーブ。だがコイツもようやく心を入れ替えたんだ。今回は、本当に」
猛獣のように怒り狂うスティーブを宥めるように腰を屈め、ソーは必死に言い募った。今回は本当に、ということは、よほどの前科があるのだろう。そのあたりの事情をあまりよく知らないバッキーは、それでも直感的に得た「首を突っ込むべきではない」という予感に従い大人しく成り行きを見守ることに決めた。
「だからって……なにも僕の家に連れてこなくても!」
「もっともだ。だがな、この場所を指定したのはあの魔術師なんだ」
「ストレンジが? なぜ……」
『そこからは私が――』
急に割り込んできた聞き覚えのない声に目を白黒させていると、「説明しよう」と言い終わるか否かのところでバッキーの尻がどすんと床の上に落ちた。右手にはクッキーの残りを、左手には愛用のマグカップを持ったままで。慌ててクッキーを口に放り込み、立ち上がって辺りを見回す。するとすぐ横にしゅるしゅると火花を散らすオレンジ色の輪が浮かんでいて、その向こうには見慣れたブルックリンの安アパートの一室があった。
「ん、んん……?」
戸惑いながら、でもなんとなくそうしたほうがいいような気がして輪の向こう側にマグカップを置くと、まるでそれを待っていたかのごとく輪がしぼんでいった。ぱちんと小さな火花を残し、見慣れた光景がどこかへ消える。するとそこに、突如として妙なコスチュームを着た男が現れた。
「わっ!」
驚いて後退ったバッキーを逞しい胸板が受け止め、安心させるように何度か肩を叩かれた。ソーだ。
「何度見ても妙な術を使う」
「お褒めに預り光栄だ」
バッキーの頭の上で顔をしかめるソーに、妙なコスチュームの男が冷ややかな言葉を返す。独特な雰囲気を持ったその男は、バッキーを一瞥してふうむと唸った。
「これはこれは。サージェント・バーンズ」
「――その呼び方はよしてくれ。俺を知ってるのか?」
「もちろんだとも。有名人だ」
眉を吊り上げて飄々と言う男に、警戒心がおのずと高まる。無意識にメタルアームを鳴らしたバッキーを、不意に横から伸びてきた手が制した。「――落ち着け、バック」
「スティーブっ!なんなんだこいつは……!」
「だから、落ち着けって。彼がドクター・ストレンジだ」
「ストレンジ?」
「ソーを呼び出した魔術師」
まじゅつし、と繰り返したバッキーに、「そう、魔術師」とスティーブが頷く。確かにそんなようなことを言っていた気がするぞ、と後ろを振り向くと、ソーにもうんうんと頷かれた。バッキーの肩ががっくりと落ちる。
「なんで俺まで……」
「ロキと二人きりでの留守番がご希望か?」
ストレンジの言葉はもっともだ。そんなことはまったくご希望しない。まずスティーブが許さないだろう。案の定、スティーブが固い表情でストレンジを睨んだ。
「それだけは絶対にだめだ!」
「だからまとめて連れてきたんだろう」
普通の人間なら即座に姿勢を正したくなるスティーブの怒声にも、ストレンジはまったくそのペースを崩さない。
「はじめから僕も呼ぶつもりだったのか?」
「ああ」
「じゃあなんで彼らをわざわざ僕の家に……」
「手間が省けるかと」
まあ、と一呼吸置くと、ストレンジはおもむろに背後を振り返った。
「弟まで付いてくるとは予想外だったが」
そう言って彼がマントを翻すと、不意にその体がどこかへ消えた。バッキーはもういちいち疑問符を浮かべることすら億劫になっていたものの、突然ソーが「ロキ!」と大声を上げて雷鳴を轟かせたので前言撤回、ぎょっとして大きく体をすくませる羽目になった。咄嗟につむってしまった目を恐る恐る開けると、まるで悪びれた様子のないロキが物騒な獲物を両手に携えて笑っている。
「ばれたか」
「まったく……馬鹿な真似はよせと言ったろ!」
「だって兄上、借りは返さなくては」
「おや、何かを貸した覚えはないが」
いつの間にかバッキーの斜め後ろに立っていたストレンジが、平然と火に油を注ぐようなことを言った。ついさっき出会ったばかりのバッキーでさえ、ロキのプライドが山のように高いことだけは分かる。うわあ、と思っていると、案の定、ロキの額に見て分かるほどの青筋が立った。
「この私を! 三十分も! 落としておいて!」
「……ああ!」
思い出した、と手を叩くストレンジに、ロキがますますヒートアップしていく。そんな弟を落ち着かせようとソーが飛び出し、スティーブもその後に続いた。状況を噛み砕くので精一杯のバッキーはただただそれを眺めた。しかし、ロキの標的はバッキーの後ろでふむふむと腕を組んでいる。もしかして逃げたほうがいいのかこれ、そう思った瞬間にはすでに、二人の猛チャージを難なく交わしたロキの痩身が眼前に迫っていた。
「おいおいおいっ……!」
慌てて逃げようと振り返ったバッキーの正面に、見覚えのあるオレンジ色の輪が広がる。――あっと声を上げるより先に、見覚えのない石畳が目に飛び込んできた。それから、背中に強い衝撃が走る。
「バッキー!」
スティーブの叫びを遠くに聞きながら咄嗟に体を起こそうとして――失敗した。
「ぐえっ」
何か大きくて重いものに押し潰され、バッキーはたまらず蛙のように呻いた。状況から判断するに、これはどう考えても最悪の事態だ。いまバッキーの顔の横にある冗談みたいに長い腕の持ち主は火を見るより明らかで、つまり地面にへばりついたバッキーを思い切り押し潰したのはロキということになる。
『すまないが、小一時間ほど子守りを頼む』
そんなストレンジの声がどこからともなく聞こえ、バッキーは怒りより先に絶望を感じた。子守り……子守り! 神様の子守りだと!?
「ちょ、ちょっと待ってくれ……!おい!」
『安心しろ、何かあったらすぐにでもハルクを寄越す』
「もっと最悪だ……」
項垂れたバッキーの上で、ロキがぷるぷると震えている。「屈辱だ……!」とか「二度も!この私を!」とか何とか呟いているが、バッキーにしてみればそんなことはどうだっていい。次第に遠ざかっていくスティーブの悲痛な叫び声を聞きながら、バッキーは呆然と地面を見つめた。
「ひどい……」
バッキーはただ、お気に入りのソファーに座ってクッキーを食べていただけなのに。チョコチップ入りで、内側のしっとり具合がバッキー好みの、最高に美味しいクッキーだった。
この世の終わりのように項垂れたバッキーの肩を、ロキの滑らかな手が掴む。兄に比べれば幾分華奢に感じるが、その力はやはり人外のそれだった。
「おい人間っ、ここはどこだ!」
「痛い痛い痛い!」
常人よりもずいぶん痛みに強いバッキーでさえ身を捩るほどの力だ。わかったわかった、とぶんぶん頷き、目に涙を浮かべながら辺りを見回す。
「……俺にもよくわかんねえけど、ニューヨークからは出てねえんじゃねえかなあ」
いくら世界中で暗躍していたとはいえ、昼間の繁華街にはまったくもって馴染みがない。正直にそう言うと、ロキはふんと鼻を鳴らしてバッキーを見下ろした。それからようやくバッキーの上からどいて、神経質そうにスーツの裾を何度も叩いた。
「よりにもよってなぜこのようなみすぼらしい男と……」
ぶつくさと文句を言うロキに、バッキーはただ唖然とするしかない。みすぼらしい、とはさすがにあんまりな言い種だ。
「みすぼらしい……か?」
そもそも部屋でくつろいでいたところを突然引きずり出されたわけで、スーツ姿のロキと比べたら確かに見劣りはするだろう。それでも、最低限の清潔感は保っているつもりだった。ややむっとしながらロキを睨み上げると、さらに温度を下げた瞳がバッキーを一瞥する。
「ひどいものだ」
「仕方ないだろ、部屋着なんだから」
「それにしてもだ」
そこまではっきり言われると、バッキーの気勢もだんだんと削がれてくる。昔ほど身なりを構わなくなった自覚もあったし、何より相手は神様なのだ。どれほど着飾ったところで、彼と並べば大抵の人間はみすぼらしく見えてしまうに違いない。
「……それでも、昔は結構自信あったんだけどなあ」
地面にへたりこんだまましょぼくれたバッキーを、ロキの瞳がもう一度見た。それから突然長い指で顎をすくわれ、まじまじと顔じゅうを検分される。いきなり人間離れした美しい顔に間近で見つめられ、バッキーはなぜだか訳もなく動揺した。
「……ふむ、なるほどな」
おもむろにそう言ったロキが、バッキーの腕をむんずと掴む。左腕でよかった、と現実逃避のように思いながら、なすがままに立ち上がった。どちらかというと恵まれた体格のバッキーでさえ、ロキと並ぶとやはり見劣りがする。なんだか不意に恥じらいが生まれ、不躾に見つめてくるロキの視線から逃れるように体を捩った。
「な、なんだよいきなり……」
「ついてこい」
そう言い放つと、ロキはその長い足で一切の迷いなくつかつかと歩きだした。慌てて後を追うバッキーを振りかえる素振りもない。これだからお坊ちゃんは! などと本人には絶対に言えない悪態を心の中だけで散々に喚き、言われるがままに後へと続いた。
ややあって、ロキが突然ぴたりと立ち止まる。危うくそのままぶつかりそうになったバッキーは、いい加減怒鳴り付けてやろうと思い立ち、慌ててやめた。
「まあ、悪くないな」
ショーウィンドーを眺めて満足そうに頷いたロキを、バッキーがぎょっとした顔で制止する。
「悪くないって……あんた、それがいくらするか分かってんのか!?」
そこは、現代のファッションにすこぶる疎いバッキーですら知っているような高級店だった。当然だがそんな持ち合わせはないし、ロキいわく「みすぼらしい」部屋着姿で入ることの出来るような店でもない。けれどロキは「何を言ってるんだこいつは」というような顔でバッキーを見たあと、おもむろにぱちんと指を鳴らした。一瞬目の前が真っ白になり、それからすぐに満足げな顔をしたロキの顔が間近にうつる。
「ひっ……!」
「……妙な声を出すな。ほら、見てみろ」
ロキが指差すほうへ顔を向けたバッキーは、もう一度妙な声をあげる羽目になった。
「ひいっ!?」
「だから、妙な声を出すなと言っているだろう!……これだからミッドガルドの連中は」
ショーウィンドーには、ぼさぼさの長髪に無精髭を生やした目付きの悪い男が、恐ろしく高級なスーツに着られて立ち尽くしている様がまざまざと映っている。細身のシルエットが美しい、ダークカラーのスリーピース。ロキのコーディネートに合わせたのか、シャツからタイ、革靴に至るまでの全てが黒で揃えられていた。
「お前、これ、どうやって……」
「魔法だ。当たり前だろう」
「魔法……」
バッキーにとっては、何から何まで訳のわからないことばかりだった。魔法使いとは、みな揃いも揃ってこうも我が道をいくものばかりなのだろうか。そもそも、魔法使いって実在したのか。神様がいるんだからそりゃあ魔法使いの一人や二人いるだろうが、それにしたって。
「妙な声の次は妙な顔か。……まあいい」
ロキはそう言うと、不意にバッキーの顎をぐいと掴んだ。受け入れ難い現実を前にぐったりとしていたバッキーにはささやかな抵抗すらできない。
「このみっともない顔もなんとかしなければな」
反論する元気も勇気も、バッキーにはもう残されていなかった。何もかもあきらめてなすがままになったバッキーの顎を、ロキの親指がつうとなぞる。それから、両の手でぐっと前髪をかきあげられた。
「……ふむ。まあ、いくらかはマシになったか」
なんとなく涼しくなった頬に触れると、ついさっきまでは間違いなくあったはずの無精髭がきれいさっぱり失われていた。驚くことにも疲れきっていたバッキーは、神様ってなんでもできるんだなあ、という感慨すら抱いてロキとショーウィンドーに映る自分の姿を交互に見た。
「これも魔法か?」
「愚問だな」
「すげえ。便利なんだなあ、魔法って」
「……貴様、馬鹿なのか?」
一転してはしゃぎだしたバッキーを見て、ロキが怪訝そうに顔をしかめた。考えていることがすぐ顔に出てしまうのだろう。妙に人間味のある神様だ。
「魔法がすごいって言うより、あんたがすごいのかな」
一周回ってだんだん楽しくなってきていたバッキーは、愉快な気分そのままロキに向かって笑いかけた。こんな経験は、あとにも先にもしたことがない。ロキは一瞬面食らったような顔をし、それからすぐ視線を反らして早足に歩きだした。
「……当たり前だ。兄上では石ころを浮かすことすら出来んからな」
「へえ、神様なら誰でもできる訳じゃないのか」
「あんな馬鹿と一緒にされては困る」
歩幅の広いロキに置いていかれまいと小走りになるバッキーを、ロキは時折歩みを止めて待ってくれた。そのくせ「ありがとう、助かるよ」と声をかけると、「貴様のためではない!……あの奇妙な生き物が気になったのだ」などと見え透いた嘘をつく。なんだか可愛いな、などと失礼なことを思いながら、バッキーは行き先も目的もさっぱりわからない道中をそれなりに楽しんだ。
しばらく歩いたところで、ロキがまた不意にぴたりと足を止める。
「どうかしたか?」
「……いや」
「ああ、ホットドッグか」
ホットドッグ、とロキがたどたどしく呟いた。ロキの視線の先にあったのは、なんの変哲もないホットドッグスタンドだ。なるほどな、と思う。
「そういや腹へったなあ。……なあ、俺が奢るから食おうぜ」
スーツのお礼、とわざとらしく付け足し、答えを聞く前に走りだした。どうやらかなりの意地っ張りらしいロキだから、あのホットドッグを食べてみたいなんてきっと言い出せないだろう。
幸いポケットに入れっぱなしにしていた財布は無事で、バッキーはささやかな所持金をはたいてホットドッグを二つ購入した。遠くで手持ちぶさたにこちらを伺っているロキに笑いかけ、大きく手招きをする。
「こっちで食べよう! ベンチがある!」
ロキは一瞬ものすごく嫌そうな顔をしたものの、結局大声で名前を呼び続けるバッキーに根負けしたようだった。大股で近付いてきて「声が大きい!」と怒鳴ったあと、大人しくホットドッグを受け取ったロキを引き連れ、二人並んでベンチへと腰かける。
「……テーブルがない」
「ナイフもフォークもないぜ。こうやって食うんだ」
大口を開けてホットドッグにかぶりつくバッキーを、目を丸くしたロキがじっと見つめた。
「手が汚れる」
「そういう食べ物なんだ」
「口も」
「たまにはいいだろ」
指についたケチャップを行儀悪く舐めとり、ロキに向かってウィンクをひとつ。あいにくウィンクは気にさわったようだったが、ホットドッグの食べ方については納得したらしい。ロキはしばしの躊躇いを見せたものの、結局バッキーに倣ってホットドッグへかぶりついた。
「思っていたほど悪くはないな」
「だろ?」
「……兄上が」
言っていた通りだ、とロキが呟く。
「ソーが?」
「ああ。奴は舌まで馬鹿だからな」
自分だって褒めたくせに、と思ったけれど、言わなかった。それきりホットドッグに専念しはじめたロキを見ながら、バッキーも黙ってホットドッグを食べる。誰が見ても高級なスーツを着た男二人が、ベンチに並んでホットドッグを食べている。それも、無言で。
結局すべて平らげたロキは、どこからともなく出してきたナプキンで丁寧に口元を拭い、ホットドッグの包み紙を綺麗に畳んでバッキーに放った。捨ててこい、ということだろう。はいはい、と立ち上がり、ぐちゃぐちゃに丸めたバッキーのそれと一緒にゴミ箱へ捨てた。それから別のスタンドでコーヒーを二つ買い、再びロキの隣へと座る。
「これも奢りか?」
「もちろん」
「ほう。ミッドガルド人にしては気が利くな」
そりゃどうも、と返したバッキーを、ロキが奇妙な顔で見た。バッキーも、ぱちぱちと目を瞬いて見返す。
「なんだ?」
「……いや」
それからまた無言の時間が続き、バッキーは案外その時間を心地よく思った。スティーブとも、よくこんな時間を過ごした気がする。あいつも意地っ張りだからなあ、とバッキーは思った。意地っ張りの扱いなら慣れっこだ。
ややあって、ロキが不意に口を開いた。
「……雲が出てきたな」
「あれ、本当だ。降るかな?」
「雨は嫌いだ」
しかめ面で子供じみたことを言うロキに、バッキーの顔が自然と綻ぶ。
「濡れるから?」
「……いや。そのあとに来るものが嫌いなんだ」
すこし考えてから、ああ、と思い至った。
「雷か」
この騒動の発端となった男を思い浮かべる。誰より太陽が似合うのに、雷を司るロキの兄。彼らが複雑な間柄であることはなんとなく知っていたので、バッキーはそれ以上何も聞かなかった。
「……降る前に帰れるといいな」
ロキはまた奇妙な顔でバッキーを見たけれど、すぐ彼らしい不遜な顔にもどり、ふん、とひとつ鼻を鳴らした。
「あの魔術師め。忘れているのではないか?」
「そりゃ参ったな。電車賃はないぜ」
「ビフレストがある」
「なんだそりゃ」
「虹の橋だ。……いまはソーだけが呼び出せる」
なんだ、結局待ちわびてるんじゃないか。
そう思ったけれど、やっぱり言わずにおいた。……せっかくの心地よい時間を無駄にしたくはなかったので。
ロキとバッキー
リクエストを頂いて書いたお話
