024 吸い殻(クリセバ)

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クリス君てなんの銘柄吸ってるんでしょうね?
 嗅ぎなれた匂いが部屋を満たしている。
 自分の部屋の匂いというのは案外本人にははっきりとわからないもので、何日か不在にしてから久しぶりに帰宅してみてようやく、ああこんな匂いだったっけな、落ち着くな、とぼんやり頭の片隅に思うくらいのものだ。
 クリスはかぶっていた帽子をいつものように玄関のハンガーへかけ、それから、足音を殺してリビングへ向かった。電気がついている。けれど、特別不審に思うことはなかった。侵入者に心当たりがあったからだ。
 無人のリビングで、テレビの画面だけが音らしい音を発している。映画のエンドロールだ。古いロックミュージックをバックに、長々しく羅列されたアルファベットたちが滑ってゆく。なんの映画だろうな、と興味本位で画面へ近寄ると、デッキのうえに、空のパッケージが開いたまま置かれていた。
 ちゃんと最後まで観ろよな、とちいさな声で独り言ち、まだわずかに人のぬくもりを残すソファへ腰掛ける。ふと目をやったテーブルのうえには灰皿があって、そのなかに、数本の短い吸い殻があった。吸った人間の癖なのか、フィルターには噛みあとが残っている。
 あ、と思ってテーブルのしたを見ると、買い置きしてあったカートンの包みが破かれていて、そのうえ、三パックは拝借されている様子だった。嗅ぎ慣れた匂いの正体はこれか、と知らず苦笑が漏れる。
「セブの奴め」
 やったな、とつぶやきながら立ち上がり、犯人捜しに打って出た。場所のあたりはついている。足音を立てないよう靴を脱ぎ、迷いなくベッドルームへ向かった。そっと扉を開け、暗い室内に目と耳を凝らす。
 するとそこには、クリスが思ったとおりの犯人の姿があった。
 人型に盛り上がったシーツの山へ忍び寄り、嗅ぎ慣れた匂いを胸いっぱいに吸い込む。玄関の扉を開いた瞬間よりよほど「帰ってきた」という感じがした。独特の甘苦い煙の臭いと、セバスチャンのデオドラントの匂い。シーツから漂う柔軟剤の香り。それらの匂いを目一杯味わってから、飛びかかるようにシーツの山へ覆いかぶさった。
「――ただいま!」
 そう言って、シーツからはみ出している額へ唇を寄せる。ほとんど激突するようなその勢いに、セバスチャンが苦しげな呻き声をあげた。それから驚いたように一言二言むにゃむにゃとしたうわ言をこぼし、おぼつかない手つきでクリスの体をまさぐる。どうやら、すっかり眠ってしまっていたらしい。
「おはよう、セブ」
「あー……、クリス? 寝ちゃってたか。ごめんな」
「いいよ。俺も遅くなったし」
「うん。待ちくたびれた」
 セバスチャンはそう言うと、ううん、と唸りながら伸びあがった。クリスはその空いた懐へもぐりこんで、寝起きのしっとりと熱い肌を楽しむように服のなかへと手を差し込んだ。よくよく見れば、彼が着ているのはクリスの部屋着だった。
「シャワー浴びたの?」
 クリスの揶揄と期待が混じった問いに、セバスチャンはただ笑みだけで答えた。目はまだ眠たげに伏せられているけれど、うっそりと頬が緩んでいる。待ちくたびれた、という言葉に、きっと嘘はない。待ちくたびれて、さんざん待ちくたびれたあげく、クリスの匂いがする煙草を吸い、クリスの匂いがする部屋着とシーツにつつまれながら眠りについたのだ。不貞腐れた顔でそこにいないクリスを罵る彼の顔が、いまにも目に浮かぶようだった。
「……なあ、セブ」
 甘えるようにセバスチャンの胸元へ顔を埋める。セバスチャンはやはり答えなかった。その代わり、熱をもった腕と脚がクリスのそれに絡む。クリスが顔をあげて首筋に唇を這わせると、セバスチャンはむずかるように体をよじって吐息だけの笑みをこぼした。そのまま顎、唇とのぼっていくと、舌へ馴染んだ苦い味わいとともに、たわむれに近い加減で下唇を噛まれる。
「君、汗臭いよ」
「そういう君はタバコ臭いよ」
「あれ、ばれた?」
「俺の買い置き、盗ったろ」
「人聞きが悪いなあ」
 セバスチャンは飄々と言い、クリスの下半身へ手を這わせた。こんなときだけいっそう器用になる指先が、ジーンズのフロントを手際よく緩めてゆく。
「……俺、汗臭いんだろ?」
 いいの、と意地悪く問うと、セバスチャンはぷっと吹き出すように笑い、それから、もう一度クリスの下唇を噛んだ。
「いいよ。むしろ――興奮する」
 たとえば、動物が自分の縄張りを匂いで示すように。汗臭いと言われた体で目の前の獲物に襲いかかり、もっと、もっとと際限なく体同士を密着させた。嗅ぎ慣れた、自分自身の匂いさえ上書きするように。