086 サングラス(サムバキ)

とスパイディ
FFHのネタバレ?あります、念のため
時系列的には本編終了後~ポストクレジットのあいだのどこかです
 ほらあ、と間の抜けた高い声が言った。
「やっぱり似合う!」
 くるくると巻いた濃い色のブロンド頭がテーブルへ沈む。サムは気取ったティアドロップフレームのサングラスをとんとんと叩き、にんまりと唇をつりあげて笑った。
「似合っちゃまずかったか?」
「まずいよ! だって、僕の持ち物なのに僕が一番似合わないなんて……」
「はは、まあ、言うほど悪かねえと思うぜ」
 サムの励ましに、隣のジェームズもうんうんと頷く。ピーターの丸いブラウンの瞳が、じとりと大人げない二人の大人を見た。ニューヨーカーが誇る親愛なる隣人は、どうやらすっかり疑い深くなってしまったらしい。その光景に、三人の周りをせわしなく往来するエージェントたちまでつられてちいさく忍び笑いをこぼす。
「サムとお前じゃ、ちょっと分が悪すぎただけだ。十分イケてると思うぜ」
「フォローになってないよ……っ!」
 ピーターの頭が再びテーブルへ沈み、サムはダークブルーのレンズ越しに失言の主を睨んだ。睨まれたジェームズは飄々と肩を竦めてその右手をひょいと伸ばし、サムの耳をかすめながらサングラスを奪う。
「――じゃあ、もっと分の悪い勝負でもするか?」
 そう言ってつんと顎をあげたジェームズは、往年の色男ぶりを遺憾なく発揮しながら長い前髪をかきあげ、ゆったりとした仕草で頬杖をついた。細く尖った鼻の上に乗せたブリッジをくいと引き下げ、レンズの上から灰色の瞳をのぞかせる。その瞳はいたずらな光を纏ってきらきらと輝き、いかにも愉快そうな三日月型に眇められていた。
「……ほらあ!」
 ぴいっと効果音が鳴りそうなその叫び声に、サムもジェームズも腹を抱えて笑う。
「悪い悪い、やりすぎたな」
 目じりに滲んだ涙をぬぐったジェームズは、止まらない笑いの合間にやっとそう言うと、ずり下げていたサングラスを外してピーターの頭の上へ載せた。セットされていないもこもことしたくせ毛の上に、アダルトな形のサングラス。ミスマッチもいいところだ。
「あと五年もすれば、お前にもきっと似合うようになるさ」
 サムもそう言ってピーターの細い肩を叩く。五年かあ、と呟く横顔の滑らかさに、その若さをしみじみと思った。五年という月日を長いと思えるのは、若さゆえの特権だ。サムだって、若い頃は一年すらも長く感じていた。
「五年なんて、三十過ぎりゃあっという間だぜ」
「そうそう。百を過ぎりゃあ、十年だってあっという間さ」
 ジェームズがぱちんと指を鳴らし「Blip!」と悪趣味に笑う。
「バッキーは特殊な例じゃん」
 ピーターは頬を膨らませてそう返し、似合わないサングラスを鼻に載せて頬杖をついた。似合わないというより、微笑ましい。スタークだって、似合わないことを承知のうえで贈ったのだろう。今は似合わなくても、いずれ似合うようになる。その頃にはきっと彼も、心身ともに成熟した大人の男になっているはずだ。
 その前途に、どんな困難が待ち受けていようと。その細い肩が折れてしまいそうなほどの重圧や、悪意や、悲劇が待っていようと。それでもきっと、ピーターならばそのすべてを乗り越えられると信じたのだろう。だからスタークは、十六歳の少年には到底似合わないようなサングラスに、彼の持てるすべてを詰め込んだのだ。
「……そういや、時間は大丈夫なのか?」
 ジェームズが、壁の時計を見ながらふとそう言った。「デートなんだろ?」とにやけた顔をし、ピーターのふくれっ面をつつく。
「わかってるよ。もう行かなきゃ」
 そう言って立ちあがった小柄な体が、ぴょんと窓の縁へ飛び移った。サムやバーンズと比べれば、一回りも小さい体だ。じゃあね、と言ってあっという間に街並みの中に消えていく背中をしばらく眺め、複雑な気分で長く重い息をはいた。
「あいつ、何度見ても可愛いよな」
 ジェームズも、その軽薄な言葉とは裏腹な顔で窓の外を眺めている。きっと、この部屋にいる誰もが同じことを思っているはずだ。
 願わくば、彼の前途に幸多からんことを。
 それが叶わぬ願いだと知っているからこそ、願わずにはいられなかった。
「……よし。俺たちも、デートと洒落込もうぜ」
 湿りはじめた空気を入れ替えるように、ジェームズがからりと笑った。
「言い回しが古いんだよ、馬鹿」
 サムも笑って答え、もう一度だけ窓の外を見やった。ビルとビルの合間、真っ青に晴れ渡った空の真ん中に、小さくぽつんと赤い人影が見える。
 きっと大丈夫さ、とジェームズが言った。
「あいつはヒーローだから、大丈夫だ」
「……あんたが言うんなら、そうなんだろうな」
 そう返して、ジェームズの厚い背中を叩く。誰より苦難に満ちた人生を歩んできた男がそう言うのだから、きっとそうなのだろう。
「どこに行く?」
 サムの問いに、ジェームズが髭の浮いた顎をさする。
「そうだな……俺も、サングラスが欲しくなった」
「ただのサングラスでいいのか?」
「うん。援護射撃なら、お前で間に合ってるしな」
 お揃いにするか、とジェームズが笑う。絶対に嫌だ、とサムも笑った。