025 昨日の残り(サムバキ)

サムバキ同居アース
 ひとりで食べる冷めたピザほど不味いものはない。
 サムは一昨日から単独任務に出かけている。一昨日はジェームズも別の任務に駆り出されていたので、二人とも不在だった。昨日はジェームズだけがオフで、今日は午前中だけ呼び出しがあったが、ちょっとした書類の不備を指摘されただけだった。
 伸びたチーズの切れ端がテーブルに落ちる。慌ててそれを拭い、汚れたペーパーナプキンを丸めてゴミ箱へ放った。放物線を描いた白い塊が、アルミ製のゴミ箱の縁にあたって乾いた音を立てる。
「……はずした」
 その言葉に「さっさと拾えよ」と茶々を入れる声はなかった。たったそれだけのことがひどく寂しい。
 サムと暮らすようになって、ジェームズはたくさんの恩恵を得た。自然な顔で笑うことができるようになり、以前と同じように食事を楽しめるようになり、人肌の心地好さを思い出した。その代償として、孤独の辛さや苦しさ、切なさ、嫉妬心というような感情まで取り戻してしまった。
 テレビをつければ、知らない芸能人が知らない話で盛り上がっている。新作映画のプロモーションらしかった。西部劇はとっくに廃れて、映画には馬もカウボーイも出てこない。宇宙人や超能力者が出てくるようなSF映画はちっともリアリティーがないし、リアリティーを追及したポリティカルサスペンスなど、その裏側を知りすぎているジェームズにとってほとんど子供向けのおとぎ話に近い。ガンアクションなどもってのほかだ。誰も彼も弾を無駄に撃ちすぎている。
 テレビを消せば、今度は部屋の静けさがジェームズを苦しめた。買ったばかりのスマートフォンに手が伸びる。買ったはいいが、天気予報を見るのと、サムに電話することくらいにしか使っていなかった。メッセンジャーはほとんど使っていない。片手で文字を打つのは大変だし、変な絵文字を使って笑われるのもいやだ。
 サムはいま南米にいる。それしか知らなかったから、暇に明かせて思い付く限りの都市を検索し、天気予報を調べた。メキシコシティは晴れで、ブエノスアイレスとモンテビデオは雨だ。
 寂しい。サムがいないから寂しい。かつて付き合ったどの女の子にも、これほど強烈な恋しさは覚えなかった。サムだからだ。いまのジェームズの手元には、もう彼以外に価値のあるものなど残っていない。
 けれど、サムはきっと他にもたくさんの価値あるものを持っている。ジェームズの味わっている寂しさの、その半分ほども知らないだろう。それでいい。普通はそうなのだ。普通の人間は、たったの三日ひとりになっただけでこれほど寂しがったりしない。ジェームズがおかしいのだ。
 スマートフォンの画面が暗くなり、陰気な顔をした髭面の男が映る。これもゴミ箱に放ってしまおうか、と不意に思った。天気予報ならテレビやラジオでも分かる。電話は滅多に鳴らないし、絵文字の使い方はいつまでたっても上達しない。
 その馬鹿げた思い付きに従って、右手を振りかぶったちょうどその時だった。虫の羽音のような振動音がして、肩が不恰好にびくりと震える。慌てて両手に抱え直し、真っ暗だった画面を見た。
 サム。サム・ウィルソン。正確に言えば、キャプテン・サム・アメリカ・ウィルソン。ふざけてそう登録して、すっかりそのままになっていた。
「サム」
 そう呟いて、緑色のアイコンをタップする。
『……ジェームズ?』
「サム」
『なんだ、ずいぶんと辛気くせえ声だな』
 そう言って笑うサムの声に、ぎゅうっと心臓が締め付けられる。嬉しいし寂しいし、わけもわからず怒鳴りたいような気分でもあった。危うくまた右手を振りかぶりそうになって、なんとか思いとどまる。
「いまどこだよ」
 ぶっきらぼうにそう尋ねると、サムは気分を害した様子もなく『サンパウロだ』と答えた。
「じゃあ曇りか」
『はあ?』
「天気。そっちの」
 ああ、と受話器越しに頷いたサムの後ろで、搭乗口を告げるアナウンスが鳴る。
「空港にいるのか」
『……あんた、ポルトガル語もわかんの?』
「ちょっとだけな」
『なら、連れてくりゃよかった』
「……うん、俺も行きたかった」
 ジェームズが拗ねたように言うと、サムはほんのすこしだけ黙り、すぐ嬉しそうな声で笑った。
『寂しかったろ?』
 その通りすぎて、返す言葉もない。寂しかった。ものすごく寂しかった。本人に向かってそう認めるのは非常に悔しいが、ほんとうに寂しかったのだ。
 サムは黙りこんだジェームズをからかうことはせず、けれど隠しようもなく愉快そうに続けた。
『いまなにしてた?』
「メシ食ってた」
『なに食った?』
「昨日の残り」
『それじゃわかんねえよ』
「……の、ピザ。すっげえ不味い」
 そう言うと、サムは声をあげて笑った。
『冷凍のやつだろ。不味いわけねえじゃん』
「でも、ほんとうに不味かったんだよ」
 ジェームズが唇を尖らせながら言い返すと、サムはまたほんのすこしだけ黙った。気のせいかもしれないが、笑いをこらえるようなくぐもった音が聞こえる。
『……わかった。すぐに帰るよ』
 朝には着く、そのたった一言で、ジェームズの心臓はまた壊れたように鼓動を早め、ぎゅうぎゅうと締め付けられた。やっとの思いで「うん」と頷く。
 通話を切ってすぐ、もう一度サンパウロの天気予報を調べた。フライトが中止になってはたまらないからだ。サンパウロは曇り空で変わりないが、雨の心配はなさそうだった。ひとまず安心してスマートフォンを切る。
 明日の朝食は、久しぶりに美味しく食べられそうだ。