サムバキ没稿供養

前日に出すもんじゃないとは思いますが
ちょっと湿っぽくなりすぎるなと思って断腸の思い・オブ・ザ・イヤーながら丸々没です
心がぽきっとなりそうになりましたが、案外何とかなるもんですね

 一か月も共に暮らせば、おおかたの生活パターンが決まってくる。
朝食の支度はサムの仕事で、後片付けはバーンズの仕事だ。コーヒーメーカーに豆と水を入れるところまでがサム、マグに注いでリビングへ運ぶのはバーンズ。サムが日課のランニングをしているあいだ、バーンズは共有のスペースに掃除機をかけ、帰宅してシャワーを浴び終わったサムが洗濯物をランドリーへ運ぶ。日用品の買い出しは二人がかりだ。サムが食料品を買い、バーンズがそのほかの消耗品を買う。荷物がそれほど多くない日は、合流して足りない家具や雑貨を物色して回る。昼食と夕食の支度は、主にバーンズの仕事だった。サムへいくつか簡単な任務が入りだし、日中の予定が立てづらくなってきたからだ。
「――じゃあ、バスルームの掃除は?」
「俺だな」
「ゴミ出し」
「バーンズ」
淀みないサムの返答を聞いたワンダが、へえ、と愉快そうに笑う。よく晴れた休日の午後だ。通り沿いのカフェテラスは多くの人でにぎわっていて、サムはきゅうに訳もなく気恥ずかしくなった。
「……もういいだろ、この話」
まごつく口元を隠すようにペーパーカップのふちを噛み、下げていたサングラスを直す。ワンダは相変わらず笑みを浮かべたまま、テーブルに身を乗り出してサムの顔を覗き込んだ。
「照れてる」
「照れてない」
「嘘。いいじゃない、もうちょっと聞かせてよ」
お願い、ともう一つ念押しされ、つい言葉に詰まる。いい歳をした男二人の、たいした面白みもない生活だ。面白みがない、とはつまり、裏を返せば特段の不満やトラブルもないということで、それをなぜ気恥ずかしく思うのかは実際のところサム自身にさえよく分からないのだった。
そんな複雑な内心を誤魔化すように咳払いをし、強引に本題へ移る。
「――それより、結局今日はなんの集まりなんだ?」
「さあ? 任務、だとは思うけど……。あなたも聞いてないの?」
露骨に話を逸らされたせいで一瞬不満げに眉を寄せたワンダだったが、首を横に振るサムを見るなり考え込むように表情を変えた。
これがニック・フューリーの呼び出しであることに間違いはない。昨晩マリア・ヒルから電話が入り、私服でここに顔を出すよう言われたのだ。
元凶であったサノスこそ倒したものの、世界の混乱が完全に収まったという訳ではない。対してアベンジャーズはと言えば、全宇宙まで管轄が広がったわりに人手不足の感は否めず、組織の立て直しもまだはじまったばかり。新たに加わったメンバーは出自も能力もバラエティにこそ富んでいるものの、その反面相互理解や連携の意識は欠けていると言わざるを得ず、今後いったいどのように組織立てて活動していくのかもまだ不透明な状況だった。
そうした状況のなか、比較的古株で連絡のつきやすいサムやワンダがこうして呼び出され、フューリーの指令を受けて動く。それ自体は、ここ最近のパターンだった。
「俺も最初はそうだろうと思ったんだが、今朝になって盾とスーツは置いてこいとさ。となると、任務じゃねえってことだけは確かだ」
言い忘れていたけど、とヒルから連絡が入ったのは、丁度朝のランニングから帰って一息ついていた時だ。怪訝に思いながら指定の場所へ向かうと、待っていたのはヒルでも他のエージェントでももなく、ワンダひとりだけだった。
「じゃあ、なんで……」
そう言って首を傾げたワンダの後ろに、黒く大きな影がさす。
「――まあ、ちょっとした相談事があってね」
遅れてすまない、と悪びれた様子もなく言ったのは、まさにニック・フューリーその人だった。晴天のカフェテラスには似つかわしくない隻眼の黒ずくめが、ゆうゆうとした仕草で空いている席へ腰を下ろす。どこまでも底が知れない男だ。
場に走った緊張を和らげるように肩を竦めて両手を広げたフューリーは、咄嗟のことに腰を浮かせたまま固まっていたワンダへ笑いかけ「今日は暑いな」と飄々とした口ぶりで言った。
「なんなんだよ、まったく……」
妙な脱力感をおぼえながら背もたれへ沈み、なかば八つ当たりも込めてフューリーを睨む。
「いったい何の用件だ? 任務ってわけじゃなさそうだが」
「用がなけりゃ一緒にコーヒーも飲めないと? 新しいキャプテンは厳しいね」
フューリーはなおも飄々とした調子を崩さず、薄っすらと笑みを浮かべたまま顔の前で両手を組んだ。顔こそ笑っているが、目だけはじろりと鋭く光っている。しかしサムもワンダも何も言わずにいると、諦めたように長く息をつき、降参とばかりに両手を振った。
「……まあいい、端的に聞こう」
そう切り出し、意味深長に言葉を切る。しびれを切らしたサムが口を開きかけた瞬間、フューリーが予期せぬ名前を出した。
「バーンズは使えるか?」
開きかけていた口は開いたまま、背筋に妙な緊張が走る。
「……本人に聞いたらいいだろ」
サムはフューリーの探るような視線から逃げるように顔を逸らし、はぐらかすように言った。
「お前の目から見てどうだと聞いているんだ、キャプテン」
呆れたように鼻を鳴らしたフューリーが、詰め寄るようにテーブルへ身を乗り出し、サムの苦々し気な横顔を睨み据える。
現場でチームを率いる立場から言えば、バーンズは願ってもないほどの戦力だった。その実力は言うまでもない。
「どうなんだ」
値踏みするような目をしたフューリーが、低い声で畳みかける。これ以上は逃げようがない。今度はサムが白旗をあげた。
「問題は無さそうに見える。……が、分からない」
「分からない? なぜ?」
洗脳は解けたんだろう、とフューリーが続ける。その通りだった。その通りだが、バーンズが抱える問題は洗脳だけではない。洗脳によって自我を奪われ、望まぬ殺人を強いられてきたのだ。
サムは言いようのない苛立ちを押し殺すように頭を振り、弱気を拭うように顔を擦る。
「他人の心は、誰にだって分からねえだろ」
「詩的だな」
「茶化すなよ。……あいつは戦うことを選ぶと思うぜ」
サムはそう言い、でも、と躊躇いがちに続けた。
「あれだけの経験を、そう簡単に乗り越えられると思うか?」
「……どうやら、想像以上に入れ込んでいるようだ」
フューリーが呆れたように笑う。頬がかっと熱を持った。
一緒に住めば、情くらい湧く。いたって普通の感情だ。そう思うのに、なぜだか猛烈な羞恥を感じている。
「まあ、考えておいてくれ」
それだけ言うと、フューリーはおもむろに立ち上がり、ゆったりとした歩調で人ごみの中へ消えていった。その気配が完全に消えたのを入念に確かめてから、サムとワンダもようやく緊張を解く。
「……ほんとのところ、どうなの?」
ワンダが探るように言った。
「さあ。俺にも分からん」
開き直ったようなサムの返事に、ワンダは呆れたように目を見開き、そのまま背もたれへぐったりと寄りかかった。
「一緒に住んでるんでしょう?」
「そう言われてもな」
サムもおなじく背もたれへ体を預け、大きな溜息をつきながら天を仰ぐ。そして、途方に暮れたように言った。
「……俺は体を改造されたこともないし、洗脳されたことも、無抵抗の非戦闘員を殺したこともない」
「まあ、そうよね」
でも、とワンダが続ける。
「……こうなっちゃったら結局、戦い続けるしかないんだと思う」
嫌でもね。
その一言には、おなじような経験をしたものでなければ分からない苦悩や諦念というものが色濃く滲んでいた。

 重々しい気分を抱えて帰宅したサムを出迎えたのは、なぜか軍手にエプロン姿で、あちこちに土汚れをつけたバーンズだった。
「……いったいなんなんだその恰好は」
呆気にとられながらそう尋ねると、バーンズは「よくぞ聞いてくれた」というような顔で笑い、したり顔のままベランダへ向かって歩き出した。
「昼間ちょっと買い物に行ったら、たまたま安くてさ」
ほら、とバーンズがブラインドを上げる。すると、つい今朝がたまでは殺風景なコンクリート敷きだったベランダへ、大小さまざまなプランターが所狭しと並べられていた。几帳面とは言い難いレイアウトだが、それがかえって手作業の手間と労力を感じさせる。
「家庭菜園?」
「そう」
驚きに目を瞬くサムの横顔を、得意げな顔をしたバーンズが嬉しそうに見た。
「これがトマトで、これがパプリカ。あっちはカブで、こっちは……」
ええと、なんだっけ。と、時折不安になるような一言を挟みながら、バーンズがプランターをひとつひとつ指さしていく。
「へえ。ずいぶん植えたんだな」
「でもさ、俺たち結構食べるだろ?」
元は取れると思うんだよな、と妙に所帯じみたことを言うバーンズに、思わず笑みが込み上げた。ガラス戸を開け、その場にしゃがんでちいさな苗をのぞきこむ。おなじくしゃがみこんで液体肥料のボトルをつついていたバーンズへ向き直り、浮き立つ心中を隠しもせず笑いかけた。
「こうして見ると、結構かわいいな」
「だろ? ――よかった。絶対喜ぶと思ってたんだ」
その言葉とてらいのない笑顔に、ふと胸が詰まる。
慌てて目線を逸らし「ああ」とだけ返した。言葉にできない感情がつぎつぎに押し寄せる。
この穏やかな生活を、すこしたりとも変えてしまいたくなかった。
平穏な日常が、日常でなくなってしまうのが恐ろしかった。
「……なあ」
目を逸らしたまま、いましがたフューリーと会ってきたことを告げる。それから「そろそろ働けるか」と歯切れ悪く切り出した。
「なんだ、そのことか」
バーンズはほっとしたように笑い、わざわざ土で汚れた軍手を外してからサムの肩を叩いた。そして「決まってるだろ」と歯を見せて笑う。
「人殺し以外ならなんでもやるぜ」
その口調こそ冗談めいていたが、サムには到底笑えそうもない冗談だった。
「当たり前だろ、させるもんか」
むきになってそう返すと、バーンズは一瞬虚を突かれたような顔になって、すぐ困ったように眉尻を下げた。
「……悪い」
バーンズが気まずげに言う。
それからしばらくのあいだ、無言のまま並んでプランターを眺め続けた。その沈黙を破るようにドアベルが鳴り、バーンズが慌てて玄関へ走る。
何事かと呆気にとられながら見ていると、いっそう気まずげな顔をしたバーンズがおおきな段ボール箱を抱えて戻ってきた。
「……追肥用の肥料、頼んでたんだ」
ちいさな声でそう言って、ずいぶんと重量のありそうな箱を易々と床へ降ろす。すると今度は焦ったような顔になり、これでもかというほど気まずそうに口をまごつかせながらサムを見た。
「これ、どこに置こう」
「考えてなかったのか」
「……うん」
馬鹿正直に頷いたバーンズは、反省、の文字が空中に浮かび上がりそうなほど縮こまりながらサムの顔色をうかがっている。その姿を見るにつけ、だんだんとすねるのも怒るのも馬鹿らしいような気分になってきた。肺に溜まっていた重い空気を先ほどまでの気まずさごと吐き出し、力の抜けた顔で笑う。
「いいよ、別に。もうちょっときれいに並べなおせば置けるだろ」
「……ごめん」
「だから、いいって」
俺も悪かったし、と続け、サムも腰を上げた。バーンズの隣に立って肥料入りの段ボールを見下ろし、ううんと首を捻る。
「しかし、すげえ量だな」
「まとめて買ったほうが安いって言われたんだよ」
「それ、騙されたんじゃねえか?」
からかうようにそう言ったサムに、バーンズも「そうかも」と苦い笑いを漏らした。それから、真面目くさった顔をして続ける。
「なあ、サム。……俺も、お前と一緒に戦いたい」
バーンズの表情はいたって真剣ではあるが冷静で、焦りや、過剰に思いつめたようなところもない。
サムはすべてが自分の取り越し苦労だったことを悟り、情けないような恥ずかしいような申し訳ないような、複雑な気分で天を仰いだ。
「……この件については、完全に俺が悪かった」
「はあ?」
胡乱げに首を傾げたバーンズの肩を叩きながら、サムもあらためて姿勢を正し、真剣な顔をして言う。
「よろしく頼むわ」
その一言で、バーンズの顔が一気に綻ぶ。
「――ああ」
こちらもたった一言、さまざまな感慨を噛みしめるような返事だった。彼にしてみれば、再び銃を手に戦場へ戻ることより、なにもせず家にいることのほうが余程ストレスなのだろう。そんな当たり前のことにすら気づけなかった。
だからこの際、勝手に家庭菜園をはじめたことも、その費用がおそらくすべてサムの財布から出ていることも、今回限りはその一切を不問に付そう。そう思った。