クリセバ短編

あけましておめでとうございます!
のっけから気まぐれ更新で申し訳ないのきわみな当サイトですが、本年もどうか見捨てずお付き合いいただければ幸いです。

ということで新年一本目のクリセバ。一本目がこれで本当にいいのか?という葛藤がなかったわけではありませんが、まあ、いいんだと思います。通常営業ということで……



 ぼくはスパイだ。ルーマニアの、そう、ええと、なんだっけ。さっき検索したんだ……ああ、そうだ、SRI。SRIに所属する、スパイ。その顔、さては信じてないな?
 今回のターゲットは、なんとあのクリス・エヴァンスなんだ。いまをときめくハリウッドスターでキャプテン・アメリカ、マッチョでセクシーでボストン出身の、あのクリス・エヴァンスさ。なぜって? そりゃあ……なぜだろうな?
 まあいい、とにかく聞いてくれよ。ぼくはスパイなんだけど、政府のやり方にはうんざりしてる。だって、スーパーハッカーの相棒もいなけりゃ、いかしたアストンマーチンにも乗れやしない。そんなのつまらないだろ? だからぼくはいつ寝返ってやろうかと、そればっかりをしょっちゅう考えてるんだ。
 ところで、この手の話はたいてい展開が決まってるよな。セクシーでホットなターゲットと禁断の恋に落ちたスパイは、祖国を裏切って殺し屋に命を狙われるんだ。

「……ところで、セブ。いったいどれだけ飲んできたんだ?」
「んん、ええと、どうだったかな……」

 思い出そうとしてみたけれど途中でめんどくさくなって、そんなことどうだっていいだろ、と返すと、クリスは呆れた顔でおおきなため息をついた。

「つまり、相当飲んだってことだな」

 ちなみに、ぼくはいまクリスの腹のうえに跨がっている。呆れ顔すらセクシーでホットなターゲットは、しらけた顔でベッドに横たわり、ハイペースにぷかぷかとタバコをふかしている。つまらないときのクリスの癖だ。ぼくはスパイだから、それくらいのことはちょっと見ただけでもわかる。

「だって、しょうがないだろ。おいしかったんだもの」
「何が」
「シャンパン。すげえ高いやつ」

 そう言うと、クリスはいよいよ呆れ果てた顔で腹のうえのぼくを見た。

「君さあ、いまさらシャンパンごときで喜ぶなよな」
「ごときって! さすが、ハリウッドスターは違うなあ」
「……なにそれ、嫌味?」
「んふふ、やだなあ。違うったら」

 いろいろなことを誤魔化すように、突発的なキスをしかける。クリスの唇はふっくらと厚くて、いつもすこしだけ苦い。その唇よりもっと苦い舌に歯を立てて、かるく噛んだ。クリスの右手が危うい手つきで灰皿を探る。ベッドのうえで吸うなって、ぼく、いつも言ってるのに。
 キスを深めるふりをしながら、左手でクリスの煙たい指先をくすぐった。そのとたん、ぎょっとしたように見開かれた両目が可笑しい。逃がさないように、噛んでいた舌をきつく吸い上げた。

「……あ、こら、セブ」

 唇を離すと、子供を叱るみたいに短く名前を呼ばれる。いたずらを成功させたばかりのぼくは、ふふんと鼻を鳴らして答えた。短いタバコを歯の間に挟んで笑う。

「なにしてるんだよ。危ないだろ」
「こっちの台詞。寝タバコはだめって、ぼく、何度も言っただろ」

 説教ついでに、ぷう、と鼻先へ煙を吹きかけてやった。クリスのまっすぐな鼻筋に、深いシワが何本も寄る。自分はぷかぷか吸うくせに、人がはく煙は嫌いって言うやつ、結構いるよな。クリスもたぶんそのタイプだ。

「……セブ」
「なあに?」

 クリスの不機嫌を知らんぷりして、もうひとつぷかりと煙をはいた。ぼくは何度も禁煙に成功している立派なニューヨーカーだから、どきどきこうやってクリスにお説教をしてやるのだった。ついでに、ポケットの中の在庫を減らす手伝いをしてやるときもある。

「もしかして、誘ってる?」

 クリスがあんまり馬鹿なことを言ったので、ぼくは声を出して笑ってしまった。

「誘ってない、怒ってる。一応」

 すると今度は、「もしかして、これがスパイの手管?」なんて馬鹿みたいなことを言い出した。そこでようやくぼくもその設定を思い出して、「そうだ、これが……ええと、なんだっけ」

「SRI」
「そう、それ。SRI」

 そうだった。今夜のぼくは、ルーマニアのスパイなんだった。これ以上意地の悪い追及を受けないよう、もう一度クリスの唇をふさぐ。どうやら、機嫌はもうすっかりなおったらしい。息継ぎのあいまにくすくすと笑うせいで、キスがしにくいったらない。

「ていうかそもそも、怒るべきは僕のほうだよな?」

 クリスが笑いながら言う。ほんとに機嫌をなおしてくれたのならなによりだが、たぶん、怒るのが面倒くさくなっただけだろう。それに、クリスの言い分はひとつも間違っちゃいない。

「うん、ぼくもそう思うよ」
「だよな。今年はじめて二人っきりで会えるってのに、君は友達とのパーティーを優先してこの通りだ」
「んぎっ」

 かさついた指で鼻を摘ままれて、へんな声が出た。反省するふりをしながら、そっと左手のタバコをもみ消す。底が見えないほど重なった灰皿の吸殻が、クリスの苛立ちを物語っている。ここは間違いなく、素直に謝っておいたほうがいい場面だ。

「ごめんね、クリス」
「……まあ、いいよ」

 しぶしぶってふうを隠しもせずに頷いたクリスに、今度こそちゃんと、誤魔化しじゃないキスをおくった。クリスの手がぼくの腰を掴む。ぼくもそれにあわせて腰を浮かせ、ふたりで向き合うように座りなおした。キスを休んで目をあわせると、クリスが困ったような顔で笑う。「もう怒ってないよ」だって、ラッキー。

「ありがとう、クリス。あと、ほんとにごめんね」
「いいったら。……ところで、なんでスパイだったの」
「そりゃあ、クリス。だってきみ、怒ってただろ」
「まあね」
「だから、これ、買ってきたんだけど」

 そう言いながら、じつは危うく忘れるところだった。買ってきたというか、ほんとは貰ったんだけど。というか、当たったんだけど。いや、じつのところどうしてこれがポケットに入っているのか、ぼく自身もよくわかっていないんだけど。

「……手錠?」
「そう。だから、スパイかなあって」

 言った瞬間、クリスがげらげらと笑いだした。さすがのぼくも、なぜ笑われてるのかの見当はつく。たしかに、手錠でスパイごっこはおかしいよな。わかるよ、ぼくだって途中でちゃんと気付いたんだ。でもさ、ほら、警官ごっこよりスパイごっこのほうが、なんかちょっとエロい感じがするだろ。

「まあ、そうだけど。……それにしても、君ってばほんと」
「馬鹿だなあって?」
「その通り」

 まったく失礼だけど、だいたいあってる。ぼくは馬鹿だ。馬鹿だから、クリスが怒ることを知っててパーティーに行くし、そのうえめちゃくちゃに酔っぱらうし、わけのわからないごっこ遊びでそれを誤魔化そうとする。でも、クリスはそんなぼくを好きなんだろ。知ってるさ。
 ようやくいつもの陽気さを取り戻しはじめたクリスが、おもちゃの手錠をぼくの手から奪った。もっと本物らしい小道具をいくらでも触ってきただろうに、クリスの両目は興味と好奇心できらきら光っている。

「これ、結構よくできてるな」
「ほんと? じゃあいがいと高いのかな」
「なんだよ、君が買ってきたんだろ」

 おっと、失言だった。

「……酔ってたから、あんまり覚えてない」
「あのなあ。……大体にして、スパイがシャンパンで酔っ払うなよ」
「なんでさ」
「スパイといえば、やっぱりマティーニだろ」
「ぼくはイギリスのスパイじゃないから、いいの」

 そうだね、ルーマニアのスパイだもんね、なんて子供をあやすみたいな口調で言われて、さすがのぼくもちょっとだけ唇を尖らせた。

「……いきなり拗ねるなって」

 クリスが愉快そうに笑う。

「ていうかさ。まさか、ほんとにスパイごっこが埋め合わせのつもりだったの?」

 うんともすんとも言わずに黙り込んだぼくを、クリスがにやけた顔で見た。なんていうか、心底可笑しなものを見る目だ。いや、弁解させてもらうと、ぼくだって手錠とスパイごっこが埋め合わせになるなんて思っちゃいないって。あたりまえだろ。まあ、そこからセックスになだれこんで、最終的にぜんぶうやむやになればいいなあ、とは思ってたけど。うん、ごめんったら。

「ま、いいけどさ。――で、これ、どっちがつけるの」
「そりゃあ、クリスだろ」
「馬鹿言え、なんで僕が」
「いいだろ。敵対組織に囚われたターゲットを、突然あらわれたぼくが颯爽と救い出すんだ」
「君が?」

 わざとっぽく目を見開いたクリスが、信じられないものを見るみたいな顔でぼくを見た。ぼくだって、たまにはそういう役もやりたいんだ。

「ね、いいだろ」
「……しょうがないな」

 そういって仕方ないなあとばかりにため息をついたクリスだけど、ぼくは知ってる。これ、ぜったいにうやむやにできるやつだ。

おわり